プラトン・アカデミー
メディチ家の別荘(世界遺産「Medici Villas and Gardens in Tuscany」) Wikipedia

プラトン・アカデミー


プラトン・アカデミー

大金融業者でフィレンツェの支配者でもあったメディチ家のコジモや孫のロレンツォは、すぐれた建築家・彫刻家・画家たちに活動の場を与え、邸宅の広間や別荘を学者、文人に開放し彼らを保護助成した。このアカデミーはルネサンスの多くの哲学者、文学者、芸術家が集う場となった。

プラトン・アカデミー

近代ヨーロッパの成立

ルネサンス

新しい人間観と人間像
メディチ家の「プラトン・アカデミー」

大金融業者でフィレンツェの支配者でもあったメディチ家コジモ・デ・メディチ(1389年〜1464年)とその孫 ロレンツォ・デ・メディチ(1449年〜1492年)は学芸の保護者としても名高い。メディチはロレンツォ・ギベルティなどすぐれた建築家・彫刻家・画家たちに活動の場を与え、その邸宅の広間や別荘を学者、文人に開放し、彼らを保護助成した。コジモは自分の主治医の息子がすぐれた学問の才能があるのを見こんで、プラトンの著作を翻訳させ、フィレンツェの郊外カレッジの丘の別荘に住まわせた。その若者が マルシリオ・フィチーノ(1433年〜1499年)であった。フィチーノのまわりにはしだいに人が集まり、プラトンをはめとするギリシアの古典古代の哲学を論じ、ダンテやペトラルカについて語り合った。これが有名なフィレンツェの「プラトン・アカデミー(プラトニカ・アカデメイア)」である。コジモの孫ロレンツォもこれを引き継ぎ、それをいっそう発展させ、このアカデミーはルネサンスの多くの哲学者、文学者、芸術家が集う場となった。

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魔術と科学

近代科学の芽も、こうした占星術や錬金術と関連をもちながら登場してくるのである。ルネサンス期の科学は、占星術や錬金術と必ずしも明確に区別できない側面もあった。宇宙や人間とそれを支配する基本原理について、占星術や錬金術に影響をもったのは ヘルメス主義である。架空の古代哲学者ヘルメス・トリスメギストスの著書とされる『ヘルメス文書』が15世紀の人文主義者マルシリオ・フィチーノにより翻訳され、当時多くの知識人に読まれていたのである。プラトンのイデア説を発展させ、神秘主義思想にもつながる 新プラトン主義も流行した。迷信、魔術、神秘主義、科学は混然として、まだ明確には分かれていなかった。

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イタリア都市とその市民の生活

金融業で産をなしたメディチ家は、その別荘にヒューマニストや芸術家を集め、古典文化の研究や講義をおこなわせた。芸術や学問を保護することは支配者の権威を高めることでもあった。職人であった画家や建築家も、人文主義者との交わりのなかで古典古代に関する学識をえて、彼らの作品にその知識を生かした。

ルネサンス期のフィレンツェなどをみても、都市民の多数は細民(popolo minuto)と呼ばれた労働者階級であった。ルネサンス文化にかかわるのは数のうえでは少数の都市民であった。君主や富裕な商人は文化のパトロンとして、専門職の人々は著述家や学者として、職人たちは美術家としてルネサンス文化の担い手となった。

パトロン:フィレンツェのメディチ家、フェラーラのエステ家、ミラノのヴィスコンティ家とスフォルツァ家、マントヴァのゴンツァーガ家などが芸術、学芸の著名なパトロンとして知られる。

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詳説世界史研究

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