フランソワ1世(フランス王)
フランソワ1世(フランス王)(Jean Clouet画/ルーヴル美術館蔵)©Public Domain

フランソワ1世(フランス王)


フランソワ1世(フランス王)( A.D.1494〜A.D.1547)

フランス王国ヴァロワ朝第9代フランス王(在位1515年 - 1547年)。神聖ローマ皇帝選挙に立候補しハプスブルク家のスペイン王カルロス1世(カール5世(神聖ローマ皇帝))に破れた後も激しく争い、イタリア戦争を展開。内政では絶対王政を整え「フランス・ルネサンス」を開花。ダヴィンチを迎えた。

フランソワ1世(フランス王)

イタリア戦争を戦いつつも内政は充実

21歳でフランス王(ヴァロワ朝第9代)に即位した。しかし、さらなる野心をもち、神聖ローマ皇帝選挙に立候補したが、ハプスブルク家のスペイン王カルロス1世に破れた。その後も、カルロス1世(カール5世(神聖ローマ皇帝))と激しく抗争を続け、イタリア支配を争ったイタリア戦争では、オスマン帝国スレイマン1世と手を結ぶなど、宗教を越えた力ずくの戦いを繰り広げた。しかし王自身が捕虜になるなど、戦局は不利のままクレピーの和約を結ぶに至り、イタリア制圧は成就じょうじゅしなかった。

シャンボール城
シャンボール城 Wikipedia

フランソワ1世が築いたフォンテーヌブロー宮殿 。フランス発の本格的なルネサンス様式の豪華な宮殿である。

Château de Fontainebleau - France

フランソワ1世が築いたシャンボール城 。レオナルド・ダ・ヴィンチが設計に関与したといわれる。

一方、内政では、百年戦争後の財政復興も順調で、絶対王政が整っていった。また、文化に造詣ぞうけいが深く、イタリアからレオナルド・ダ・ヴィンチを招いた。

フランソワ1世は、レオナルド・ダ・ヴィンチの晩年の保護者としても知られる。ダ・ヴィンチが没したのは、中部フランス・アンボアーズ近くのクロ・リュセ城 であった。
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近代国家への道を開いた王

フランスで最初のルネサンス的な君主で、レオナルド・ダ・ヴィンチをフランスに招聘しょうへいして宮廷文化を開花させた。また領土拡大を目指し、4回にわたってイタリア戦争をおこなうなど、野心家でもあった。メディチ家の財産を狙って、同家のカトリーヌ・ド・メディシスとアンリ2世(フランス王)の結婚を取り決めるなど、王権強化に努めた。

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近代ヨーロッパの成立

宗教改革

ドイツにおける宗教改革運動の展開

ローマ教皇は、スペイン王位を兼ねるハプスブルク家のドイツ皇帝の勢力拡大を恐れ、フランス王国と結び、ドイツ皇帝と対立した。フランソワ1世(フランス王)は、オスマン帝国と結びドイツに圧力を加えた。

ドイツにおける宗教改革運動の展開 – 世界の歴史まっぷ

詳説世界史研究

カール5世とフランソワ1世

カール5世(神聖ローマ皇帝)とフランソワ1世(フランス王)はおたがいに、生涯を通じての最大の敵(ライバル)であった。16世紀の前半、複雑に推移するこの時代の国際関係は、カール対フランソワの、ハプスブルク家対フランス・ヴァロワ家の対立関係を基軸に展開する。神聖ローマ帝国の新皇帝の選挙で、ハプスブルク家のスペイン王カルロスに対し、いち早く集権化を進めるフランスの国王フランソワ1世が猛然と選挙戦を挑んだ。結果カルロスが勝利し、1519年、皇帝カール5世が誕生した。その後の両者の敵対関係は「決闘」が取りざたされるほどであった。しかし個人的感情のみならず、フランスはハプスブルク勢力に周囲を包囲されたことになり、その脅威がイタリア戦争の原因となった。2人の死闘がヨーロッパ世界を引きずり回したのである。

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子女

最初の王妃クロード・ド・フランスとの間に3男4女をもうけた。

  • ルイーズ(1515年 – 1518年)
  • シャルロット(1516年 – 1524年)
  • フランソワ(ブルターニュ公)(1518年 – 1536年) – ブルターニュ公、王太子(ドーファン)
  • アンリ2世(フランス王)(1519年 – 1559年)
  • マドレーヌ(1520年 – 1537年) – スコットランド王ジェームズ5世と結婚するが同年病没(マデリン・オブ・ヴァロワ)
  • シャルル(1522年 – 1545年) – シャルル・ダングレーム(オルレアン公)
  • マルグリット(1523年 – 1574年) – サヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルトと結婚(マルグリット・ド・フランス(1523-1574))

参考 Wikipedia

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