ニカイア帝国
第4回十字軍後のビザンツ帝国。(ラテン帝国、ニカイア帝国、トレビゾンド帝国、エピロス帝国)。 国境は明確ではない。©Wikipedia

ニカイア帝国


ラテン帝国

東ローマ帝国パレオロゴス朝

ニカイア帝国( A.D.1204〜A.D.1261)
1204年ヴェネツィアと第4回十字軍によりビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルが占領され、ラテン帝国が建国された際、ビザンツの残存勢力のうち、ニケーアに建てた独立政権。コンスタンティノープル陥落の直前に即位したコンスタンティノス・ラスカリスの弟テオドロス1世ラスカリスが建国(東ローマ帝国ラスカリス朝)。1261年専制公だったミカエル8世パレオロゴスがコンスタンティノープルを奪回し、ビザンツ帝国を再興した(帝国最後のパレオロゴス朝)。

ニカイア帝国

ヨーロッパ世界の形成と発展

ヨーロッパ世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ
ヨーロッパ世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ

東ヨーロッパ世界の成立

後期ビザンツ帝国

11世紀の末、宮廷の内紛を鎮めて帝位についたコムネノス朝のアレクシオス1世コムネノスは、貴族勢力に対し軍事奉仕を条件に公有地の管理を任せるプロイノア制を導入、これにより帝国の封建化は進んだが、貴族連合体制のもとで国内は安定することになった。
対外的には、ヴェネツィアと提携してアドリア海からノルマンを撃退、さらにセルジューク朝の圧力に対抗するためローマ教皇に十字軍(第1回十字軍 1096年〜1099年)を要請し、トルコ人に奪われた土地の回復を目指した。
この相対的安定も、12世紀末から再び崩れた。貴族層は帝国からの自立を強め、セルビア・ブルガリアも独立、1204年にはヴェネツィアと第4回十字軍によりコンスタンティノープルが占領され、ラテン帝国の出現をみた。

東ローマ帝国 東ヨーロッパ世界の成立
1095年ビザンツ帝国コムネノス朝 Source: Wikipedia
東ローマ帝国 東ヨーロッパ世界の成立
1180年ビザンツ帝国コムネノス朝 Source: Wikipedia

ビザンツの残存勢力はトレビゾンド・ニケーア・エピロスに独立政権を立てて抵抗、そのひとつニカイア帝国ミカエル8世パレオロゴスは、1261年ジェノヴァの協力を得てコンスタンティノープルを奪回し、ビザンツ帝国を再興した。これが、帝国最後のパレオロゴス朝(1261~1453)の成立である。

東ローマ帝国 東ヨーロッパ世界の成立
1270年ビザンツ帝国パレオロゴス朝 Source: Wikipedia
東ローマ帝国 東ヨーロッパ世界の成立
1400年ビザンツ帝国パレオロゴス朝 Source: Wikipedia

しかし、この再建ビザンツ帝国に昔日の面影はなく、新たにバルカン半島で強大化したセルビア王国(中世)の圧力に加え、モンゴル人に追われたトルコ系諸族の小アジア西進、とりわけオスマン帝国の出現は、相次ぐ宮廷の内乱とともに帝国の衰退・領土縮小を加速させた。
オスマン帝国は、14世紀半ばにバルカン半島に進出、都をアドリアノープルにおいて、セルビアなど周辺スラヴ諸族を征服していった。これに対し、キリスト教諸国もハンガリー王ジギスムントを中心に十字軍を結成したが、ニコポリスの戦い(1396)で敗れ、そのあとも敗退を続けた。
そして、1453年メフメト2世率いるオスマン軍によりコンスタンティノープルが陥落、ビザンツ帝国はその1000年におよぶ歴史を閉じることになった。

参考 詳説世界史研究

歴代皇帝

  • テオドロス1世ラスカリス(1204年 – 1222年) : アレクシオス3世の娘婿
  • ヨハネス3世ドゥーカス・ヴァタツェス(聖ヨハネス、1222年 – 1254年) : テオドロス1世の娘婿
  • テオドロス2世ラスカリス(1254年 – 1258年) : ヨハネス3世の長男
  • ヨハネス4世ラスカリス(1258年 – 1261年) : テオドロス2世の息子。1261年廃位。
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