ガンダーラ美術
仏陀直立像(1〜2世紀の作品/東京国立博物館蔵)WIKIMEDEA COMMONS ©Public Domain

ガンダーラ美術


ガンダーラ美術 (1世紀頃〜5世紀頃)
初期の仏教徒はブッダを像に表現することを避けたが、1世紀末ころ西北インドでヘレニズム彫刻の技法と造形思想の影響をうけて、仏像・菩薩像が刻まれ、仏像崇拝が始まった。この造形美術は誕生の地の名にちなみガンダーラ美術と呼ばれている。この美術の影響は、インド本土はもとより、仏教の伝播に伴い、中央アジア・中国・日本にまでおよんだ。

ガンダーラ美術

アジア・アメリカの古代文明

インドの古代文明

仏教の新展開

初期の仏教徒はブッダを像に表現することを避けたが、1世紀末ころ西北インドでヘレニズム彫刻の技法と造形思想の影響をうけて、仏像・菩薩像が刻まれ、仏像崇拝が始まった。この造形美術は誕生の地の名にちなみガンダーラ美術と呼ばれている。

この美術の影響は、インド本土はもとより、仏教の伝播に伴い、中央アジア・中国・日本にまでおよんだ。

上座部仏教 仏教伝来要図
仏教伝来要図©世界の歴史まっぷ

詳細仏教の新展開 – 世界の歴史まっぷ

オリエントと地中海世界

バクトリアとパルティア
アケメネス朝 新思想の成立 マガダ国 紀元前500年前後 アケメネス朝ペルシア版図 と周辺諸国の地図 アケメネス朝ペルシア版図と周辺諸国地図
アケメネス朝ペルシア版図と周辺諸国地図 ©世界の歴史まっぷ

セレウコス朝の支配が低下するのにともない、各地の有力家系が王朝をきずいて独立した。
もっとも早く離反したのはアム川上流域のバクトリアで、紀元前3世紀半ばにギリシア人総督が独立してバクトリア王国(紀元前255年〜紀元前139年)をたてた。その後バクトリア王国は、マウリヤ朝の衰退に乗じてインダス川流域のインド北西部にまで勢力をのばしたが、内紛がおこり、また西方のパルティアや北方のスキタイ系遊牧民に圧迫されて弱体化し、紀元前139年にはトハラ人によって滅ぼされた。この王国はギリシア人がたてた国であったため、ヘレニズム文化が栄えた。その文化はのちのクシャーナ朝に大きな影響を与え、ガンダーラ美術を生み出すことになった。

バクトリアとパルティア – 世界の歴史まっぷ

詳説世界史研究

ガンダーラ王国

ガンダーラ王国は、紀元前6世紀~11世紀の間存続し、十六王国時代をへて、1世紀から5世紀には仏教を信奉したクシャーナ朝のもとで最盛期を迎えた。1021年にガズナ朝のスルタン・マフムードにより征服された後、ガンダーラの地名は失われた。イスラム支配下ではラホール、またはカーブルが周辺地域の中心となり、ムガル帝国の支配下ではカーブル州の一部とされた。

紀元前6世紀にはアケメネス朝ペルシャのキュロス大王、もしくはダレイオス1世によってその版図に組み込まれた。
紀元前380年頃までにペルシャの支配は弱まり、多くの小王国がガンダーラを分割支配した。紀元前327年にはアレクサンドロス3世がガンダーラに侵攻したが、大王はこの地に1年も留まらなかった。同じ頃、マウリヤ朝のチャンドラグプタ王はタクシラにあったが、紀元前305年にはセレウコス朝を破り、アフガニスタン南部を支配下に収めた。その後、1世紀半にわたりマウリヤ朝がこの地を支配した。チャンドラグプタの孫アショーカ王は熱心な仏教徒となり、ガンダーラに多くの仏塔を建立した。その後、マウリヤ朝が衰退してインド亜大陸に退くと、ギリシャ系のバクトリアがこの地に勢力を拡張した。紀元前185年頃、ガンダーラとパンジャーブはデメトリオス1世(バクトリア王)により征服された。その後、バクトリア分裂の後、ガンダーラ地方はバクトリア内部での独立した政権が支配した。インド・グリーク朝(紀元前2世紀頃〜1世紀)のメナンドロス1世はガンダーラの最も有名な王である。

ガンダーラ美術

ギリシャ、シリア、ペルシャ、インドのさまざまな美術様式を取り入れた仏教美術として有名である。開始時期はパルティア治世の紀元前50年-紀元75年とされ、クシャーナ朝治世の1世紀~5世紀にその隆盛を極めた。インドで生まれた仏教は当初、仏陀そのものの偶像を崇拝することを否定していたが、この地でギリシャ文明と出会い、仏像を初めて生み出した。インドをはじめ、中国や日本にも伝わり、また大乗仏教も生まれた。「兜跋毘沙門天像とばつびしゃもんてん」という頭に鳳凰のついた冠をかぶった像が存在し、毘沙門天の起源がギリシア神話のヘルメース(ローマのメルクリウス)であるという説がある。5世紀にはこの地にエフタルが侵入し、その繁栄は終わりを告げた。

参考 Wikipedia

ギャラリー

ガンダーラ美術
ガンダーラ時代の仏頭(インド国立博物館蔵)Wikipedia
ガンダーラ美術
ガンダーラ美術 仏頭(ギメ東洋美術館、ルーヴル美術館蔵)©Public Domain
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