ガレー船
16世紀におけるマルタの典型的な構造を持つガレー船の模型。この時期がガレー船最後の最盛期となった。突撃船首が確認できる。Wikipedia

ガレー船 (古代〜近代初期)
多数のかい(オール)推進の大型船。古代ギリシア・ローマ時代からエジプト人、クレタ人などが帆付きのガレー船を軍用と商用に使用。軍艦としては、中世になってもポエニ戦争の頃の構造、大きさと基本的に変らなかった。艦砲の発達によってガレオン船が登場しても、まだ1世紀以上にわたって補助的に使われていた。ベネチア海軍で使った2層甲板でより大きなガレアス船、トルコ海軍が造った小型で快速なガリオット船の変型がある。ガレー船は近代初めのレパントの戦い(1571)でもなお主役を演じ、その後流刑人護送船として 18世紀まで使用された。

ガレー船

ガリー船とも呼ばれる。おもに地中海において古代から近代初期まで、3000年以上にわたって使われた櫂(オール)推進の大型船。すでにエジプト人、クレタ人などが帆付きのガレー船を軍用と商用に使用、前700年頃フェニキア人が両側上下2段の櫂のついたガレー船を建造、さらに前500年頃ギリシア人によって三段櫂船が導入された。中世には、ほぼ長さ45m、幅6mの船を人力により両舷にある通常27本ずつの櫂で漕いで推進した。普通1本の櫂に4~6人の奴隷か、罪人がついた。補助的に2~3本の帆柱が使われた。軍艦としては、中世になってもポエニ戦争の頃の構造、大きさと基本的に変らなかった。艦砲の発達によってガレオン船が登場しても、まだ1世紀以上にわたって補助的に使われていた。ベネチア海軍で使った2層甲板でより大きなガレアス船、トルコ海軍が造った小型で快速なガリオット船の変型がある。ガレー船は近代初めのレパントの戦い(1571)でもなお主役を演じ、その後流刑人護送船として18世紀まで使用された。

参考 ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 プラス世界各国要覧 2017

近代ヨーロッパの成立

ヨーロッパ世界の拡大

航海と船

大航海時代の数々の新航路発見の探検を可能にしたのは、航海術と造船技術の進歩であった。

ガレー船キャラベル船キャラック船キャラック船
キャラベル船キャラック船 サンタ・マリア号
人力でオールを漕いで進む軍艦。およそ3本のマストを持つ小型の帆船ポルトガルではナウ船と呼ぶ。遠洋航海に適するような形態を備えたキャラック船
古代から地中海・バルト海航海王子エンリケからコロンブスのピンタ号・ニーナ号などフェルディナンド・マゼランのビクトリア号コロンブスのサンタ・マリア号

船に関していえば1400年ころまではオールと漕ぎ手を必要とする古代以来のガレー船のほか、1本マストには四角帆をはった150トン前後のハンザコックが北海・バルト海で、2本マストの2枚の三角帆(ラティーンセール)をはった商船が地中海で用いられた。15世紀初頭に3本マストの船が出現する。航海王子エンリケのもとで働いた船長たちはキャラヴェル船を用いている。これには3本のマストに大小3枚の三角帆をはったキャラヴィル・ラティナ、四角い帆をはったキャラヴェル・レドンタがあったが、従来の船より細長くなっていて、大洋を航海するうえで性能がよくなっている。トン数は50トンから200トンくらいのものであった。クリストファー・コロンブスバルトロメウ・ディアスもキャラヴェル船を用いた。コロンブスが第1回航海で用いたピンタ号・ニーナ号はキャラヴェル船であった。しかし、東インドの航路のような長い航海ではキャラヴェル船では積載量が小さすぎた。1450年ころには、それよりも大型の400トン級のナウ船が登場する。コロンブスのサンタ・マリア号はナウ船であった。ヴァスコ・ダ・ガマの航海にもナウ船が用いられている。スペインとアメリカ大陸を結んだ艦隊やエリザベスの艦隊はナウ船の変種であるやや大型のガレオン船を主力としていたようである。ついで現れるのが、より巨大なキャラック船である。のちには7層ないし8層の甲版の100トン以上のものがつくられる。これは四角帆と三角帆を組み合わせ、遠洋航海に適するような形態を備えたものである。

詳説世界史研究

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