エンリケ航海王子
エンリケ航海王子(ヌーノ・ゴンサルヴェス画/ポルトガル国立古美術館蔵)©Public Domain

エンリケ航海王子


エンリケ航海王子( A.D.1394〜A.D.1460)

大航海時代の幕を開いたポルトガル王国アヴィス朝の王子。父王ジョアン1世(ポルトガル王)と兄王ドゥアルテ1世(ポルトガル王)、ペドロ・デ・ポルトゥガル(コインブラ公)とともに北アフリカのセウタ(モロッコ)を攻略。航海事業の必要を感じ、航海士を養成。アフリカ・インド航路開拓を推奨し探検を行う。キリスト騎士団長。

エンリケ航海王子

大航海時代の幕を開いたポルトガルの王子

ポルトガルは長年、北上するイスラーム勢力と戦ってきたため、イスラームの航海術や天文学を学んでいた。同時にキリスト教勢力の拡大の必要性も感じていた。

エンリケは、父王ジョアン1世(ポルトガル王)に従い、兄ふたりの王子とともに、ジブラルタル海峡を渡った。北アフリカに位置する都市セウタは、ムスリム商人の基地として栄えていたが、ここを攻略。エンリケはムスリムを排除した航海貿易事業に着手した。

エンリケはポルトガル南西端のザグレス岬近くに、海洋術や天文学を教える航海学校を建て、航海士を育成した。さらにアフリカ西岸の探検やインド航路開拓を奨励し、兄の治世からその甥のアフォンソ5世(スペイン王)の治世には、アフリカ最西端を回り、北緯15度近くのガンビアまで探検が行われた。実際には船酔いがひどく、ほとんど航海には出なかったが、大航海時代を切り開いた立役者である。

エンリケは、テンプル騎士団の後継であるキリスト騎士団の団長に就任し、騎士団の莫大な財産を航海事業の資金源とした。終生妻を娶らず、航海事業に没頭した。
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ヨーロッパ世界の形成と発展

西ヨーロッパ中世世界の変容
ヨーロッパ世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ

西ヨーロッパ中世世界の変容

スペインとポルトガル

ポルトガル王国は1143年、ローマ教皇の仲介でカスティリャ王国から分離独立する(アフォンソ1世(ポルトガル王))(位1139〜1185)と、13世紀半ばまでにレコンキスタを完了した。首都リスボンは、地中海と北海を結ぶ中継地として栄え、やがてカスティリャ王国の海港都市セビリャとその地位を争った。
アヴィス朝(1385〜1580)の時代に絶対王政化が進められ、積極的な海外進出が行われた。初代国王ジョアン1世(ポルトガル王)(位1385〜1433)の子エンリケ航海王子(1394〜1460)は、1415年モロッコの商業都市セウタ攻略を皮切りに、カナリアス・マデイラ・アゾレスなどの大西洋諸島と、ブランコ岬・ヴェルデ岬などの西アフリカ沿岸の探検・航海を推進した。
それは、国内の貴族勢力を弾圧して絶対王政の確立に努めたジョアン2世(ポルトガル王)により継承された。王はスーダンの金取引に成功すると、さらにアフリカ南下政策を推進し、インド航路開拓の計画を具体化した。その結果、1488年バルトロメウ・ディアスはアフリカ南端の喜望峰に到達、ポルトガル海洋帝国への道が大きく開かれた。

エンリケ航海王子

彼は船酔いが激しかったために一度も航海には出なかったが、地理的知識を拡大し、ボルトガル商業を発展させ、ムーア人の真の力を認識してそれに対抗し、キリスト教の布教をめざしてアフリカの発見を促した。

スペインとポルトガル – 世界の歴史まっぷ

近代ヨーロッパの成立

ヨーロッパ世界の拡大

ポルトガルの東インド航路の発見

新航路開拓の事業を諸国に先駆けて進めたのは、イベリア半島のポルトガル・スペイン両国であった。イベリア半島ではキリスト教勢力により、イスラーム勢力を半島から駆逐するレコンキスタ運動( スペインとポルトガル)が11世紀ころから継続されてきた。半島西部でイスラームを駆逐し、いち早く中央集権化を完成させたポルトガルが、15世紀前半アフリカ西海岸の探検事業に乗りだした。航海王子と呼ばれたエンリケ航海王子(1394〜1460)は、サグレス岬に研究所をつくり、航海術や天文学の研究を進め、航海者を養成し、西アフリカ海岸探検・東インド航路探検に彼らをつぎつぎと派遣した。ポルトガルの船乗りは、マデイラ島・ヴェルデ岬をへて、1447年にはアゾレス諸島に達している。

ポルトガルの東インド航路の発見 – 世界の歴史まっぷ

詳説世界史研究

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