イクター制 イクター制の成立と展開
アター制からイクター制へ ©世界の歴史まっぷ
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イクター制
軍隊と官僚に現金俸給を支払うアター体制にかわり、国家から授与される分与地(イクター)からの徴税によって得る収入で装備を整え軍事奉仕の義務を負う制度。
イクター制はブワイフ朝時代のイラクに始まり、セルジューク朝のとき西アジア各地に広まリ、イルハン朝、デリー・スルターン朝、ティムール朝オスマン帝国サファヴィー朝でも、本質的にこれと同じ制度が行われた。

イクター制

イスラーム世界の形成と発展

イスラム王朝 17.イスラーム世界の発展 イスラーム世界の形成と発展
イスラーム世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ

イスラーム世界の発展

バグダードからカイロへ
イクターとは、国家から授与された分余地、あるいはそれからの徴税権を意味する。イクター制はブワイフ朝時代のイラクに始まり、セルジューク朝のとき西アジア各地に広まった。イルハン朝、デリー・スルタン朝、ティムール朝、オスマン帝国、サファヴィー朝でも、本質的にこれと同じ制度がおこなわれた。

バグダードからカイロへ – 世界の歴史まっぷ

イクター制の成立と展開

アッバース朝カリフの権力が安定し、官僚性が整っている間は、軍隊と官僚に現金俸給を行なうアター体制を維持することができた。しかし9世紀半ば以後、マムルーク軍人の勢力が台頭し、地方に独立の王朝が樹立されると、カリフ権力は衰え、王朝が支配できる地域はイラク地方だけに限られた。このため国庫収入は次第に減少し、ブワイフ朝がバグダードに入城し立ときには、国庫は極度に欠乏した状態にあった。

これをみたブワイフ朝のムイッズ・ウッダウラは、配下の騎士に分与地(イクター)を指定し、彼らに徴税の権限をゆだねる政策をとった。これをイクター制という。イクター保有者(ムクター)となった騎士たちは、代理人を派遣して取り分の徴収をおこない、戦時にはその収入を用いて装備を整えることが義務付けられた。現金俸給を支払うアター体制からイクター制への転換は、イスラーム国家や社会にさまざまな変革をもたらすことになった。
イクター制 イクター制の成立と展開
アター制からイクター制へ ©世界の歴史まっぷ

新体制のもとでは、騎士たちはイクター保有の見返りに君主に対して軍事奉仕の義務を負い、農民や地方の都市民は、従来の徴税官にかわって、イクター保有者による直接支配を受けるようになったからである。
ブワイフ朝時代のイラクでは、農村の実情を無視して不正な徴税がおこなわれたために、農民の疲弊は著しかった。しかしセルジューク朝になると、イクター制が施行される範囲はイラクからイラン・シリアへと拡大し、また政府によるイクター保有者の監督も厳格におこなわれるようになった。宰相ニザームルムルクは、『統治の書』のなかで、2〜3年ごとにイクターを変更し、必要があれば、中央から調査官を派遣すべきであると述べている。これは、イクター保有者による不正を未然に防止し、彼らが地方に独立するのを防ぐことが目的であった。

セルジューク朝のイクター制は、サラディンによってエジプトに導入された。アイユーブ朝時代のイクター保有者は、ブワイフ朝やセルジューク朝の場合と同様に、一族や郎党を代理人として現地に派遣し、取り分の徴収を行なった。十字軍との戦闘に参加したのは、このようなイクター収入によって装備を整えたクルド人やトルコ人の騎士たちだったのである。

マムルーク朝もアイユーブ朝のイクター制をそのまま継承した。しかしこの時代には、マムルーク騎士の位に応じてイクターの規模と軍事奉仕の義務が厳密に定められるようになった。マムルークたちはイクター内の運河や水路を整備し、主食となる小麦のほかに、イランからイラクをへてエジプトに導入された砂糖キビ栽培を熱心に奨励した。
カイロの近郊でみずから製糖工場を営むイクター保有者も少なくなく、エジプトの砂糖(スッカル)は、ヨーロッパむけのもっとも重要な輸出商品に数えられるようになった。砂糖を意味する英語のシュガーが、アラビア語のスッカルに由来しているのはそのためである。

イクター制で力をつけた地方官が建てた王朝

  • サーマーン朝(873年 – 999年)
    イラン系イスラム王朝。トランスオクシアナ地方全域の徴税権及び後に支配権をアッバース朝より与えられる。
  • ハムダーン朝(890年 – 1004年)
    アラブ系イスラム王朝。遊牧民の長ハムダーン家がジャズィーラ地方に建国。アッバース朝の実権を最初に簒奪した王朝。
  • ブワイフ朝(932年 – 1062年)
    イラン系イスラム王朝。バグダードに入城し、カリフよりイラン地方の支配の正統性を認められた。大アミールという称号を与えられ、後にアッバース朝カリフを傀儡にする。ハムダーン朝と長期にわたり抗争を繰り返したが、ハムダーン朝衰退によって完全に実権を掌握する。
  • ゴール朝(11世紀初 – 1215年)
    イラン系イスラム王朝。当初の称号はアミールであったが、後にスルターンと改称する。ハールーン・アッ=ラシードによってゴール地方の領主に任命されたのが始まりとされているが、王朝としての開始は11世紀ごろである。勢力が徐々に強大化し、勢力拡大方向を西のバグダード方面ではなくインド方面の東に設定した。1191年に北インド全域を支配。
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