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フレグ (1218〜1265)

イルハン国初代君主(在位1260年〜1265)。
チンギス=ハンの四男トルイと、正室ソルコクタニ・ベキの間の三男。フビライ・ハンの弟。モンケの治世に大規模なフレグの西征を行い、アッバース朝を滅ぼしてイランとイラクを領有し、イルハン国を樹立した。

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フレグ

ハイドゥの乱
モンゴル宗室の系図

内陸アジア世界の変遷

内陸アジア
内陸アジア世界の変遷 ©世界の歴史まっぷ

モンゴル民族の発展

モンゴル帝国の成立
フレグのイルハン国建国

オゴタイの長子グユク(モンゴル帝国皇帝)(1246〜1248)が没し、かわって即位したモンケ(モンゴル帝国皇帝)(1209〜1259)は、弟のフレグ西アジア遠征を命じた(フレグの西征)。フレグは、イランのイスマーイール派(シーア派)を破り、1258年にはバグダードを攻略してアッバース朝を滅ぼし、イランを中心にイルハン国を建てた。

モンゴル帝国の最大版図と各ハン国地図
モンゴル帝国の最大版図と各ハン国地図 ©世界の歴史まっぷ

イスラーム世界の形成と発展

イスラーム世界の形成と発展
イスラーム世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ

イスラーム世界の発展

バグダードからカイロへ
13世紀末のイスラーム世界地図
13世紀末のイスラーム世界地図 ©世界の歴史まっぷ

13世紀初めになると東方ではモンゴルの勢力が台頭し、フレグの率いるモンゴル軍は西アジアに進出して、1258年にバグダードを陥れた(バグダードの戦い)。これによってアッバース朝は滅亡し、600年にわたって続いたカリフ制度もいったん消滅した。フレグはイランとイラクを領有し、イルハン国を樹立した。

建国当初のイルハン国はシリアへの進出をはかってエジプトのマムルーク朝と対立したが、ガザン・ハンの時代にイスラーム教を国教とし、みずからもこれに改宗した。彼は、人頭税・家畜税を主とするモンゴル式税制を、地租(ハラージュ)を中心とするイスラーム式税制に改め、またイクター制を導入して農村の復興に努めた。ガザン・ハンはイスラーム教を熱心に保護する政策をとり、これによって異民族モンゴル人の支配のもとで、イラン・イスラーム文明が花開いた。

アイン・ジャールートの戦い

1258年にバグダードを落としたモンゴル軍は、そのまま西進を続け、アレッポ・ダマスクスを攻略すると、さらに南下してエジプトに進撃する勢いを示した。これに対してエジプトのスルタンは、バイバルスを先鋒隊の司令官に任じてモンゴル軍迎撃の態勢を整えた。イスラーム世界の命運をかけた戦いは、1260年6月、パレスチナの小村アイン・ジャールートでおこなわれた。この戦いに圧倒的な勝利を収めたマムルーク軍は、エジプトの新政権がイスラーム世界の守護者であることを内外に広く印象づけたのである。

東西文化交流と元代の文化

フレグの西征でイスマーイール派を破り、アッバース朝を倒すと、それまでイスラーム勢力の圧迫下にあった西アジアの諸派キリスト教徒は、モンゴル人を歓迎した。なかでもイルハン国の定住人口の重要な部分を占めるシリア人にはネストリウス派キリスト教徒が多く、初期のイルハン国は、彼らの政治力や経済力を必要とし、これを保護した。
また、マムルーク朝と敵対したことから、西ヨーロッパのキリスト教世界とも接近し、イギリス王、フランス王やローマ教皇庁と使節を交換した。
とくに十字軍最後の拠点が陥落すると、ローマ教皇はイルハン国からの使節でネストリウス派の司祭でもあるラッバーン・バール・サウマから元についての知識をえて、13世紀末フランシスコ修道会のジョヴァンニ・ダ・モンテコルヴィーノを元に派遣し、大都の大司教に任じて布教活動に当たらせた。こうして中国で初めてカトリックが布教された。モンテコルヴィーノが大都で没した後も後任や使節が派遣された。元朝が滅亡するまでローマ教皇庁との通行関係は続いた。

ネストリウス派の影響

チンギス=ハンがモンゴル高原を統一する以前から、モンゴル部の近隣のナイマン、ケレイト、オングトの各部族は、高い文明をもち、その支配階層はネストリウス派キリスト教を信奉していた。これらの部族はモンゴル帝国に吸収されていったが、ネストリウス派キリスト教徒が、帝国の要職にあったことをルブルックもローマ教皇に報告している。
なかでもケレイトの族長の娘ソルコクタニも熱心なネストリウス派キリスト教徒で、のちにチンギス=ハンの末子トルイの妻となり、モンケ、フビライ、フレグを生んだ。ネストリウス派的教養を持った良妻賢母であったと言われている。イルハン国を建国したフレグが、ネストリウス派キリスト教を保護した事実も、このことと無関係ではない。

モンゴル帝国の解体
イルハン国

首都:タブリーズ
イルハン国は、フレグの西征でイランを中心に建国。シリアをマムルーク朝と、カフカスをキプチャク・ハン国と争った。また、同じトルイ家のフビライのたてた元朝とは友好関係を保った。第7代ハンのガザン・ハンは、みずからイスラームに改宗して、これを国教とするとともに、歴史家ラシードゥッディーンを宰相に登用して、土地制度や税制の改革に当たらせ、全盛期を迎えた。しかし、14世紀の半ばころからは王権をめぐる抗争が続いて国内は分裂し、のちに中央アジアからおこったティムールに征服された。

フレグが登場する作品

フビライ・ハン

モンゴル帝国 フレグ
フビライ・ハン ©)Beijing Sunshine Sheng Tong Culture and Arts Co. Ltd.

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