ウッドロー =ウィルソン
ウッドロー =ウィルソン(WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

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ウッドロー=ウィルソン Woodrow Wilson (A.D.1856〜A.D.1924)

アメリカ合衆国第28代大統領(在任1913〜21)。民主党。第一次世界大戦前半には中立の立場をとったが、1917年4月にドイツの無制限潜水艦作戦を理由に参戦。18年1月平和十四カ条を発表、戦後の世界秩序構築に高い理想を掲げたが、上院の反対でヴェルサイユ条約を批准できず、国際連盟への加盟もかなわなかった。国際連盟創設への貢献によりノーベル平和賞受賞。

ウッドロー =ウィルソン

アメリカ合衆国第28代大統領(在任1913〜21)。民主党。第一次世界大戦前半には中立の立場をとったが、1917年4月にドイツの無制限潜水艦作戦を理由に参戦した。18年1月には平和十四カ条を発表し、戦後の世界秩序構築に高い理想を掲げたが、上院の反対でヴェルサイユ条約を批准できず、国際連盟への加盟もかなわなかった。

参考 世界史用語集

パリ講和会議 もやっぱり踊る

1919年、 パリ講和会議 の重要事項決定権は、米・仏・英・伊・日の5大国が握っていた。米国代表がウィルソンである。彼は平和の調停者を自任する理想主義者で、前年に調和の基礎原則として軍縮や国連結成など「十四カ条」を提案していた。

だが仏国首相クレマンソー議長には独国への復讐心しかなく、ロイド=ジョージ英国首相は仏国の伸張を許せない。結果、仏国は英国に掴みかかろうとするわ、呆れた米国は帰国をチラつかせて牽制するわ、伊国は本当に帰ってしまうわ、無策の日本の牧野伸顕はは黙り通すしかないわで、会議は遅々として進まなかった。

参考

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参考 ビジュアル 世界史1000人(下巻)

二つの世界大戦

第一次世界大戦とロシア革命

合衆国の参戦と戦争の終結

1917年、対戦に転機が訪れた。この年、それまで中立を保っていたアメリカ合衆国が参戦する一方、ロシアには十月革命でソヴィエト政府が成立した。アメリカ大統領に再選されたウィルソン(ウッドロー=ウィルソン)は1917年1月、「無併合・無賠償」の「勝利なき平和」を唱えて戦争終結の斡旋に乗りだした。しかし、実際にはアメリカは物資や兵器の供給、資金の融資などを通じて連合国 との経済的な結びつきを強めていた。

ドイツの軍部独裁政府が1917年2月無制限潜水艦作戦の開始 を声明したため、アメリカは民主主義の擁護を掲げて4月にドイツに対して宣戦布告した。ロシアでは、ソヴィエト政府は同盟側が休戦協定を結び講和交渉を始めた。

建艦競争は英独戦争のひとつの要因でありながら、第一次世界大戦での大きな海戦は1916年5月のユトランド沖海戦だけであった。ドイツはむしろ、イギリスへ軍需物資を補給する中立国の商船も潜水艦で攻撃する作戦をたてた。この作戦が開始されたのは1917年になってからだが、15年5月7日、イギリスの客船ルシタニア号がドイツ潜水艦に撃沈される事件がおきた(ルシタニア号事件)。1000人を越す犠牲者のなかに128名のアメリカ人も含まれており、アメリカ政府は厳しく抗議し、世論の反独感情は高まった。

1918年1月、ウィルソン大統領は、レーニンのおこなった和平提案や秘密条約の公表に対抗し、革命の広がりを阻止するために、秘密外交の廃止、海洋の自由、民族自決などからなる十四カ条の平和原則を発表した。

ヴェルサイユ体制下の欧米諸国

パリ講和会議 とヴェルサイユ条約

1919年1月、パリで連合国 27カ国代表による講和会議が開催された。会議関係者総数1万人におよぶ史上最大規模の国際会議では、軍人ではなく政治家が主役となり、各国の議会の意向や世論、国民の動向が大きな影響を与えた点でも画期的であった。講和の枠組みはアメリカウィルソン大統領 Wilson (1856〜1924)が1918年1月に提案した十四カ条とされ 、また米・英・仏・イタリアと新たに指導的大国と認められた日本の五大国が全般的主導権をもつことを認められた。とはいえ、日本はヨーロッパ内の諸問題に切実な関心がなく、またイタリアのオルランド首相 Orlando (1860〜1952)も領土要求がれられないとして会議を一時離脱するなどの行動をとったため、結局、米のウィルソン、英のロイド=ジョージ Lloyd George (1863〜1945)、仏のクレマンソー Clemenceau (1841〜1929)の三首脳間の協議が決定的な重みをもつことになった。この3国はロシア革命の波及阻止などでは共同行動をとったが、フランスが自国の安全保障問題にこだわり、イギリスは戦前の地位への復帰を求めて国際経済の再建を重視し、アメリカは十四カ条遵守に固執するなど、それぞれの目的や思惑に違いがあった。

ウィルソンの十四カ条

  1. 秘密外交の廃止
  2. 海洋の自由
  3. 経済障壁の撤廃と通商条件の対等化
  4. 軍備縮小
  5. 植民地再配分要求の公正な調整
  6. 全ロシア領からの撤兵
  7. ベルギーからの撤兵とベルギーの主権回復
  8. 全フランス領から撤兵とアルザス・ロレーヌのフランスへの返還
  9. 民族居住線に沿ったイタリア国境の修正
  10. オーストリア=ハンガリー内諸民族に対する自立的発展の機会の保証
  11. ルーマニア・セルビア・モンテネグロからの撤兵、バルカン諸国の政治・経済的自立と領土保全への国際的保証
  12. オスマン帝国内のトルコ領土の保全、他諸民族の自立的発展の保証
  13. 外海への自由な交通路を与えられた独立ポーランド国家の樹立
  14. すべての国家の政治的独立と領土保全を相互に保障する国際組織の設立

会議ではまず国際連盟規約が審議され、ついで対独講和の具体的内容が順次検討された。しかし、合意達成は容易ではなく、4月初めにはウィルソン大統領が交渉を見限って帰国を準備するまでになった。こうした連合国 内部の確執から、ドイツ軍も交渉の席に着かせるという当初の予定は実現されなかった。4月中旬、ようやく内容がまとまり、5月ドイツ代表団に示されたが、実質的な交渉はほとんどないまま、6月半ば連合国 側は最後通告の形でドイツに受諾をせまった。ドイツは抗議したもののほかに選択肢はなく、6月28日ヴェルサイユ宮殿鏡の間で講和条約(ヴェルサイユ条約 Versailles )に調印した。

ヴェルサイユ体制と国際連盟

十四カ条とヴェルサイユ条約以下の各講和条約で形成された国際体制は、全体としてヴェルサイユ体制と呼ばれ、それを統括する場として国際連盟 League of Nations が想定されていた。国際平和と安全保障のための史上初の国際組織である連盟は、1920年1月ヴェルサイユ条約の発効と同時に正式に発足した。加盟国は当初連合国 32カ国のみで構成され、ドイツなど旧同盟国とソヴィエト=ロシアは排除された。連盟は本部をスイスのジュネーヴにおき、国際労働機関(ジュネーヴ)と常設国際司法裁判所(ハーグ)が付置された。連盟の最高議決機関は年次総会で、重要な議決機関として理事会があり、英・仏・イタリア・日本の4カ国が常任理事国となった。アメリカ合衆国も常任理事国となることが予定されていたが、対外的義務の負担と外交的自由の拘束を嫌う共和党保守派の反対とウィルソン大統領自身の非妥協的姿勢によって、19年11月、上院でヴェルサイユ条約批准が否決されたため、国際連盟にも加盟しなかった。そのため、合衆国とドイツとの講和条約は1921年8月個別にベルリンで調印された。合衆国の不参加、敗戦国と革命ロシアの排除によって、ヴェルサイユ体制は事実上ヨーロッパ中心の国際体制という構造になった。

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