アルダシール1世 (?〜241年?)

ササン朝ペルシアの初代君主(在位226年〜240年 生前譲位)。アルダシール1世は、パルティアを倒してクテシフォンを都に新しく開いたササン朝を創始し、ペルシア帝国の復興をめざした。

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アルダシール1世

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ササン朝
ササン朝
オリエントと地中海世界 ©世界の歴史まっぷ

ササン朝(224年〜651年)は、アルダシール1世がパルティアを倒してクテシフォンを都に新しく開いた王朝である。

ササン朝の王朝名は、アルダシールの祖父ササンの名に由来する。ササン家はゾロアスター教の祭司の家柄であった。

アケメネス朝の根拠地であったフォールス地方のペルセポリス付近からおこって、農耕イラン人を勢力基盤としていた。アケメネス朝治下のペルシア帝国の復興をめざし、イラン民族の伝統宗教であるゾロアスター教を国教に定めて、国家の統一と中央集権制の確立をはかった。その目標を実現に移したのがシャープール1世で、「イラン人および非イラン人の諸王の王」と称し、東方ではクシャーナ朝滅ぼしてインダス川西岸まで領土を広げ、西方ではシリアに遠征してローマ軍を破り、260年には軍人皇帝ウァレリアヌスを捕虜とした。

以後ササン朝とローマは、とくにアルメニアの帰属をめぐって一進一退の死闘を繰り返すことになる。
5世紀頃の内陸アジア地図
5世紀頃の内陸アジア地図 ©世界の歴史まっぷ

また東西交易の利益の独占をねらって、海陸で積極的な政策がとられた。ペルシア湾からインドにいたる航路は整備され、インド洋ではギリシア系ローマ商人が撤退したあとの商権を巡ってペルシア商人とエチオピアのアクスム商人が争った。アクスム王国は3世紀にはアラビア南西部にまで勢力をのばし、紅海の制海権を握ったあと、インドへの進出をはかっていたのである。他方、陸上ではハトラをはじめとする隊商都市が相次いで征服され、次の世紀に入ると、隊商路を脅かすアラブ遊牧民を討伐するため、アラビア半島内部にまで遠征が行われるようになった。

ササン朝 – 世界の歴史まっぷ

参考

詳説世界史研究

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