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476年のヨーロッパ地図

地名:ヴァンダル族, アングロ・サクソン人, ユート族, 東ゴート族, ゲルマン民族, ヨーロッパ, カラリス, カルタゴノヴァ, ヒッポ, トロサ, レプリス・マグナ, パリシイ, クレルモン, ヴェロナ, アンティオキア, エルサレム, アレクサンドリア, ドナウ川, ドニエプル川, ドン川, ライン川, エルベ川, ヴォルガ川, ユート, アングロ, サクソン, エジプト, オリエンス, アシアナ, モエシア, イリリクム, トラキア, ヴァンダル, キプロス, クレタ, シチリア, サルディニア, コルシカ, アラマニ, スエヴィ, ゲピデ, ノリクム, チューリンギア, ランゴバルド, バスク, ブルグンド, ガリキア, ポンチカ, ヘルリ, フン族, アラン, スエビ王国, フリース, スラヴ諸族, バルト諸族, ブリトン, 西ゴート, 東ゴート, フィン, ソワソン, コンスタンティノープル, カルタゴ, ローマ, ラヴェンナ, 黒海, 地中海, 大西洋, 北海, バルト海, 東ローマ帝国, ササン朝ペルシア, 西ゴート王国, ガッサーン朝, ヴァンダル王国, オドアケルの王国, フランク王国, シアグリウス領, ブルグント王国, ラジア, ドニエストル川, ソワソンの戦い

476年のヨーロッパ地図
476年のヨーロッパ地図 ©世界の歴史まっぷ

凡例

476年 ゲルマン人傭兵オドアケルの反乱により西ローマ帝国が実質滅亡(480年に完全に滅亡)後のヨーロッパ。

東ローマ帝国(ビザンツ帝国)

476年 西ローマ帝国の滅亡後の一時期は旧西ローマ領を含む地中海の広範な地域を支配したものの、8世紀以降はバルカン半島、アナトリア半島を中心とした国家となった。首都はコンスタンティノポリス(現在のトルコ共和国の都市であるイスタンブル)。

476年に西ローマ帝国がゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによって滅ぼされた際、形式上は最後の西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥスが当時の東ローマ皇帝ゼノンに帝位を返上して東西の帝国が「再統一」された(オドアケルは帝国の西半分の統治権を代理するという体裁をとった)ため、当時の国民は自らを古代のローマ帝国と一体のものと考えていた。また、ある程度の時代が下ると民族的・文化的にはギリシャ化が進んでいったことから、同時代の西欧からは「ギリシア帝国」とも呼ばれた。

西ゴート王国

415年 - 711年
現在のフランス南部からイベリア半島にあたる地域を支配したゲルマン系王国。はじめはキリスト教アリウス派、のちにカトリックを国教とし、ゲルマン文化・ローマ文化・キリスト教文化を融合させ栄えた。

415年にワリア王は南ガリアのトロサ(トゥールーズ)を首都と定め西ゴート王国が建国された。また、イベリア半島を征服していたヴァンダル族、スエビ族らを討ち、褒賞として418年にホノリウス帝から正式に属州アクイタニア(アキテーヌ)を与えられた。

西ローマ帝国とは基本的に友好な姿勢を保っていたが、敵対した時期もある。西ローマ帝国滅亡後にイタリア半島を占領し東ゴート王国を建国する東ゴート族とは連絡を保っていたが共同して行動することはなかった。451年にはパリ西方のカタラウヌムでフン族を撃退した(カタラウヌムの戦い)。

476年に西ローマ帝国が滅びると、エウリック王は混乱に乗じてフランスの中部からイベリア半島の南部まで勢力圏を広げた。このころからヴァンダル族は西ゴート王国に朝貢し、アフリカに退去したためイベリア半島への入植が進んだ。フランス北部では興ったばかりのフランク王国と争った。

フランク王国

5世紀から9世紀にかけて西ヨーロッパを支配したゲルマン系の王国。
現在のフランス・イタリア北部・ドイツ西部・オランダ・ベルギー・ルクセンブルク・スイス・オーストリア及びスロベニアを領土とし、最大版図はイベリア半島とイタリア半島南部を除く西ヨーロッパ大陸部のほぼ全域に及ぶ。ゲルマン系フランク人のサリー・フランク族が建てた王国であることからこの名がある。首都は508年にパリに置かれ、カール大帝時代はアーヘンに王宮が置かれてここが事実上の首都となった。

オドアケルの王国

東ゲルマン族のスキリア族出身の西ローマ帝国の軍人、オドアケルは476年、西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥルスを廃位し、東ローマ帝国の皇帝ゼノンへ西ローマ皇帝位を返上、自らはゼノンの代理としてラヴェンナを中心としてイタリア統治を開始し、イタリア王に即位した。オドアケルはローマ元老院をそのまま残し、古代ローマ式の統治方法を採用した。

しかし、488年に東ローマ帝国への内政干渉に失敗する。それを口実に、ゼノンはテオドリック(東ゴート王)にオドアケル討伐を命じた。翌年テオドリックはイタリアに侵攻を開始する。しだいにオドアケルは首都ラヴェンナへと追い込まれ、493年に降伏したが、その直後に暗殺された。

テオドリックはその功として東ローマ帝国からイタリア支配を承認され、東ゴート王国が成立した。

東ゴート王国

テオドリック(東ゴート王)によって建国された東ゴート族の王国。首都はラベンナ。東ローマ帝国の皇帝ゼノンとの同盟により、西ローマ帝国滅亡後、イタリアのほぼ全域を支配下においた。
テオドリックの治世において、東ゴート王国は西ローマの政治機構を再整備し、それまでのローマ法を遵守しつつ新たな国家の構築が進められた。しかし、テオドリックの死後、後継者問題や宗教対立によって国内は混乱しはじめ、ローマ帝国の再統一を進めるユスティニアヌス1世がこれに乗じて東ゴート王国に軍を派遣。東ゴート王国はこれに屈服して滅亡した。

シアグリウス領

執政官シアグリウスが支配したガリア北西部。
486年にフランク族に敗れる。

ヴァンダル王国

ゲルマン民族の一派であるヴァンダル族が興した王国。ガイセリック王により建国され、北アフリカと地中海を435年から534年まで支配した。その後、東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌス1世により滅ぼされた(ヴァンダル戦争)。

中世ヨーロッパの流れ

東ローマ帝国 476年のヨーロッパ
中世ヨーロッパの流れ

ソワソンの戦い

ソワソンの戦いは、486年、クロヴィス率いるフランク族と、シアグリウス率いるソワソン管区のローマ残存国家との間に起こった戦いである。
戦いはフランク族の勝利に終わり、以後フランク族がガリアに覇権を確立する試金石となった。

地図参考

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世界史年表・地図 (2017年版)

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