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アンティゴノス朝マケドニア 3.イラン文明 バクトリアとパルティア アッタロス朝 ポントス 紀元前200年頃の西アジア地図
紀元前200年頃の西アジア地図 ©世界の歴史まっぷ

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紀元前200年頃の西アジア地図

地名:アンティゴノス朝, エトリア同盟, アカイア同盟, アショーカ王, 西アジア, エジプト王国, プトレマイオス朝, セレウコス朝, パルティア王国, アルサケス朝, バクトリア王国, エピロス, ペルガモン, ビチニア, カッパドキア, ポントス, マウリヤ朝, マケドニア王国, アレクサンドリア, スパルタ, アテネ, エフェソス, ペラ, バビロン, バクトラ, クレタ, セレウキア, ロードス, キプロス, ビュザンティオン, ニケーア, テーベ, メンフィス, アンティオキア, エクバタナ, カスピ海, 黒海, コーカサス山脈, 地中海, ペルシス, アルメニア, アトロパテネ, ソグディアナ, バクトリア, アーリア, ドランギアナ, アラコシア, ゲドロシア, カルマニア, シリア, ガラチア, キリキア, アカイア, エトリア, トラキア, メディア・マグナ, アラビア, サカ, コラズミ, マッサゲテ

紀元前200年頃の西アジア地図
紀元前200年頃の西アジア地図 ©世界の歴史まっぷ

凡例

パルティア王国(アルサケス朝)

パルティア - 世界の歴史まっぷ

プトレマイオス朝

紀元前306年 - 紀元前30年
古代エジプトのマケドニア系王朝(プトレマイオス朝エジプト王国)。アレクサンドロス3世の死後、部下であったプトレマイオス(マケドニア出身のマケドニア人)が創始した。首都はアレクサンドリアに置かれ、アレクサンドリアは地中海屈指の大都市・ヘレニズム文化の中心として繁栄を続けた。

セレウコス朝

紀元前312年 - 紀元前63年
アレクサンドロス3世のディアドコイ(後継者)の一人、セレウコス1世ニカトルがオリエント地方に築いた王国。セレウコス帝国またはセレウコス朝シリアと表記される事もある。
はじめメソポタミア(イラク)地方に興り、シリア、アナトリア、イランなどにまたがる広大な領域を支配した。長くアンティオキアを首都とした。

アンティゴノス朝

紀元前306年 - 紀元前168年
アレクサンドロス3世のディアドコイ(後継者)の一人、アンティゴノス1世モノフタルモス(隻眼王)の子孫がギリシャマケドニア地方に築いた、ペラを首都とする王国。アンティゴノス朝マケドニア王国。

エトリア(アイトーリア)同盟

アイトーリア人は早い時代にアイトーリア同盟を結成し、それはすぐに強力な軍事同盟になった。元々はピリッポス2世の統治期に、アイトーリア諸都市が相互の利益と防衛のために作ったものだったが、マケドニア王国ならびにアカイア同盟に匹敵するものに変わった。アイトーリア同盟は当時作られた政治的組織の中でも目覚ましいものの一つであった。

アカイア同盟

古代ギリシア時代後期においてペロポネソス半島北部沿岸部のアカイア人都市同士でなされた同盟であり、紀元前5世紀から紀元前4世紀には既に存在していたが、紀元前3世紀初頭に内容が改革され、すぐに加盟都市がアカイア地方の北部沿岸部から中心部にまで広がった。
とくにシキュオンのアラトスのもとでアカイア同盟はペロポネソス半島での影響力を高め、アンティゴノス朝マケドニアの影響力も削ぐようになったが、同時にスパルタの王クレオメネス3世との間に確執が生じるようになった。

クレオメネスとの武力衝突でアラトスはマケドニアの王アンティゴノス3世に援軍を要請し、クレオメネス戦争でクレオメネスに勝利し、彼をエジプトへの亡命にまで追い込んだ。しかしそれによりアカイア同盟の影響力は弱まり再びマケドニアの影響力を増す結果となった。

アラトスの死後、アカイア同盟は新興勢力であった共和政ローマに接近、マケドニアと対峙していく形で強化され、ローマの東方での影響力の確立に大いに役立った。そして紀元前197年にローマは第二次マケドニア戦争(英語版)でマケドニアに対して勝利をする。またメガロポリスのフィロポイメンのもとで同盟はスパルタと幾度も戦った。紀元前207年にはマンティネイアの戦いでマカニダス率いるスパルタ軍を破り、紀元前195年にナビス戦争に勝利し、紀元前192年の最後のスパルタ王ナビスの死に際しては同盟は混乱したスパルタにフィロポイメン率いる大軍を送って同盟に加入させ、ペロポネソス半島全域を支配下に収めた。

しかしながらアカイア同盟の支配は長くは続かなかった。第三次マケドニア戦争で同盟はローマを見限り、マケドニア王ペルセウスに接近、この行為にローマは懲罰を加え、同盟の指導者層から人質としてローマに連行、その中にはスキピオ家に預けられ、後にローマの歴史を書くポリュビオスもいた。

紀元前146年にアカイア同盟はローマに対して反抗するが、ローマから派遣されたルキウス・ムンミウスとコリントスの戦いで戦った同盟軍は敗北、一連の戦役でコリントスが廃墟と化し同盟は消滅した。

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