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大月氏国 冒頓単于 スキタイと匈奴 漢の興起 月氏 バクトリア王国 パルティア 紀元前2世紀後半の世界地図
紀元前2世紀後半の世界地図 ©世界の歴史まっぷ

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紀元前2世紀後半の世界地図

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紀元前2世紀後半の世界

共和政ローマ
第三次マケドニア戦争

前171 - 前168
共和政ローマとアンティゴノス朝マケドニア王国の間で争われた第三次マケドニア戦争。
最終決戦となったピュドナの戦い (紀元前168年)でローマ軍はマケドニア軍に大勝して、アンティゴノス朝は断絶した。また、共和政ローマによるヘレニズム諸国征服の端緒となった。

シリア セレウコス朝
シリア戦争(プトレマイオス朝)

前274 -
シリア戦争は、紀元前3世紀から紀元前2世紀頃に、コイレ・シリアを巡ってセレウコス朝シリアとプトレマイオス朝エジプトの間で争われた一連の戦争のことである。6回に渡って繰り広げられた。この戦争によって両国の資源と兵力は消耗し、ローマとパルティアによって征服される一因となった。

エジプト プトレマイオス朝
プトレマイオス5世

在位:紀元前204年 – 紀元前181年
プトレマイオス5世の時代から衰退をはじめ、多くの領地を失う。

パルティア アルサケス朝
ミトラダテス2世

在位:前123年頃 – 前87年頃
セレウコス朝を攻めてメソポタミア北部を制圧。カラケネ王国および小アジアのアルメニア王国を服属させ、首都をクテシフォンに移し、ミトラダテス2世治世下で再びメソポタミアからインダス川までを支配する大国となった。

前漢
武帝

在位:前141年3月9日 - 前87年3月29日
かつて匈奴に敗れて西へ落ちていった大月氏へ張騫を派遣し、大月氏との同盟で匈奴の挟撃を狙った。同盟は失敗に終わったものの、13年の張騫の旅行によりそれまで漠然としていた北西部の情勢に明るくなり、後の対匈奴戦に大きく影響した。

武帝は衛青とその甥の霍去病の両将軍を登用して、匈奴に当たらせ、幾度と無く匈奴を打ち破り、西域を漢の影響下に入れた。
更に李広利に命じて、大宛(現/中央アジアのフェルガナ地方)を征服し、汗血馬を獲得した。
また南越国に遠征し、郡県に組み入れ、衛氏朝鮮を滅ぼして楽浪郡を初めとする漢四郡を朝鮮に置いた。

匈奴

モンゴル高原を中心とした中央ユーラシア東部に一大勢力を築いた遊牧国家。

秦の末年、匈奴が冒頓単于のもとでモンゴル高原を統一。楼蘭,烏孫,呼揭およびタリム盆地の26国も征服した。
軍臣単于(在位:前161年 - 前127年)が即位すると、漢では景帝(在位:前156年 - 前141年)が即位。互いに友好条約を結んでは破ることを繰り返し、外交関係は不安定な状況であったが、景帝は軍事行動を起こすことに抑制的であった。しかし、武帝(在位:前141年 - 前87年)が即位すると攻勢に転じ、元朔2年(前127年)になって漢は将軍の衛青に楼煩と白羊王を撃退させ、河南の地を奪取することに成功した。

元狩2年(前121年)、漢は驃騎将軍の霍去病に1万騎をつけて匈奴を攻撃させ、匈奴の休屠王を撃退。つづいて合騎侯の公孫敖とともに匈奴が割拠する祁連山を攻撃した。これによって匈奴は重要拠点である河西回廊を失い、渾邪王と休屠王を漢に寝返らせてしまった。
さらに元狩4年(前119年)、伊稚斜単于(在位:前126年 - 前114年)は衛青と霍去病の遠征に遭って大敗し、漠南の地(内モンゴル)までも漢に奪われてしまう。ここにおいて形勢は完全に逆転し、次の烏維単于(在位:前114年 - 前105年)の代においては漢から人質が要求されるようになった。

太初3年(前102年)、漢の李広利は2度目の大宛遠征で大宛を降した。これにより、漢の西域への支配力が拡大し、匈奴の西域に対する支配力は低下していく。
その後も匈奴と漢は戦闘を交え、匈奴は漢の李陵と李広利を捕らえるも、国力で勝る漢との差は次第に開いていった。

康居

現在のカザフスタン南部に在った遊牧国家。張騫が立ち寄った頃、康居は小国であり、南は大月氏に臣従し、東は匈奴に臣従していた。

大宛

フェルガナ地方に存在したアーリア系民族の国家。紀元前129年頃に前漢の張騫が訪れた後国交を結ぶ。大宛の汗血馬を求めた武帝に侵攻される。

烏孫

イシク湖周辺(現在のキルギス)に存在した遊牧国家。
匈奴に征服された際、烏孫王であった難兜靡(なんとうび)は殺され、子の昆莫(こんばく)は匈奴のもとで育てられる。昆莫は匈奴で手柄を立てるようになり、老上単于(在位:前174年 - 前161年)から烏孫の民を返され、西城を鎮守しながらも、次第に勢力を増していった。

紀元前161年、老上単于が死ぬと、昆莫は烏孫の民を引き連れ、西へ移動し、イシク湖周辺(現在のキルギス)にいた大月氏を駆逐して烏孫国を建国した。

大月氏

月氏は、東アジア、中央アジアに存在した遊牧民族とその国家名。紀元前2世紀に匈奴に敗れてからは中央アジアに移動し、大月氏と呼ばれるようになる。大月氏時代は東西交易で栄えた。

イシク湖周辺に逃れてきた月氏の残党(大月氏)は、もともとそこにいた塞族の王を駆逐してその地に居座った。しかし、老上単于(在位:前174年 - 前161年)の命により、烏孫の昆莫が攻めてきたため、大月氏はまた西へ逃れ、最終的に中央アジアのソグディアナ(粟特)に落ち着いた。そこで大月氏はアム川の南にあるトハリスタン(大夏)を征服した。

マガダ ジュンガ朝

古代インドのマガダ国に起こった王朝。マウリヤ朝の将軍だったプシャミトラがマウリヤ朝を滅ぼして建て1世紀余りの間続いた。

地図参考

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項羽と劉邦 King's War あらすじ 登場人物 - 世界の歴史まっぷ

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