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ヨーロッパにおける民族大移動の始まり地図

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ヨーロッパにおける民族大移動の始まり地図
ヨーロッパにおける民族大移動の始まり地図 ©世界の歴史まっぷ

凡例

フン族

北アジアの遊牧騎馬民族。ユーラシアステップが出処と考えられている。「フン」=「匈奴」説がある。4世紀中頃から西に移動を始め、東ゴート族、西ゴート族を圧迫してゲルマン民族の大移動を誘発し、西ローマ帝国崩壊の遠因にもなった。
5世紀中頃、アッティラの時代に統一帝国を築いて最盛期を迎えたが、453年、王・アッティラの死去後急速に衰退した。

ゲルマン諸族

ゲルマン人の大移動
4世紀から6世紀半ばまで、長期的にゲルマン人の移動が起こる。
背景: フン族(遊牧騎馬民族)がアジアから移動してきたため、それまで住んでいたゲルマン人は移動を余儀なくされる。
西ローマ帝国: 467年、ゲルマン人傭兵隊長のオドアケルが寝返り、西ローマ帝国は滅亡
東ローマ帝国: ゲルマン民族の移動の影響を受けなかった。

東ゴート族・西ゴート族

ゲルマン人の一派である。ゴート族が歴史上は、270年頃からこの西ゴート族と東ゴート族に分かれる。

ブルグント族

ブルグント族またはブルグンド族は、スカンジナビア半島からボーンホルム島、後にヨーロッパ大陸へと移住した東ゲルマン諸語を話すゲルマン人である。

ヴァンダル族

古代末期にゲルマニアから北アフリカに移住した民族。ローマ領外の蛮族による民族移動時代にローマ領内へ侵入して北アフリカにまで進軍し、カルタゴを首都とするヴァンダル王国を建国した。彼らが北アフリカに進出する前に一時的に定着したスペインのアンダルシアや、破壊行為を意味するヴァンダリズムの語源ともなっている。

アングロ・サクソン、ユート族

アングロ・サクソン人は、5世紀頃、現在のドイツ北岸、南部よりグレートブリテン島に侵入してきたアングル人、ジュート人、サクソン人のゲルマン系の3つの部族の総称である。
この中でアングル人が、イングランド人としてイングランドの基礎を築いた。ドイツ起源の民族であるが、現在のドイツ圏の国民をアングロサクソン人と呼ぶことは原則なく、一部地方でサクソン人(ザクセン人)という呼び方が残っている程度である。

フランク族

フランク人またはフランク族は、ゲルマン人の1支族で、サリー族(サリー・フランク族)とリプアリー族(リプアリー・フランク族)に大別される。前者は西ヨーロッパにおいてフランク王国を建国した事で知られる部族集団である。

語義は「自由な人」「勇敢な人」を意味すると言われ、英語で率直な性格を表す「フランク」の語源ともなった。また彼らの持つ独特の武器(フランキスカ)が民族名の元となったという説もある。西ローマ亡き後の西ヨーロッパを支配する王国を建設したことから、東方の東ローマ帝国やイスラム諸国では一時、西ヨーロッパ人全般を指す言葉として用いられた事もあった。
彼らを一つのエスニックグループとして捉えるかどうかについては長年に亘って議論が続けられている。近年の歴史学では「フランク」ないし「フランク人」という民族が存在したのではなく、ゲルマン系、イラン系、ケルト系、ラテン系の諸部族・諸集団の離合集散によって形成されていた一種の連合政権(同様の例にフン族がある)であったとする考えが主流になりつつある。

カタラウヌムの戦い

ゲルマン民族の大移動の時代に、アッティラ率いるフン族と西欧諸民族連合軍の間で行われた会戦。激戦の末、西欧はフン族の征服を免れることができたがフン族の勢力は維持され、ローマ側も追撃不可能なほどの被害を受けたことで、西ローマの勢力は弱まり、ガリアへのフランク族の侵入がはじまることとなった。

アドリアノープルの戦い

アドリアノープルの戦い(ハドリアノポリスの戦い)は、376年から382年のゴート戦争の中の戦いのひとつ。ローマ帝国皇帝ウァレンス率いるローマ軍とゴート族との戦闘である。この戦いでローマ軍は敗退し、以後トラキア地方はゴート族に占領されることになった。英語表記によるアドリアノープルの戦いとも称される。

参考

launch 山川世界史総合図録

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Create Date2018-02-04

Update Date2018-04-14

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