セシル=ローズ
セシル=ローズ(WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

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セシル=ローズ Cecil Rhodes( A.D.1853〜A.D.1902)

南アフリカで帝国主義政策を進めた英国の起業家・政治家。1880年鉱業会社設立、ダイヤモンド業独占。トランスヴァールの金鉱業も成功。ケープ植民地首相となりローデシアを建国。95年トランスヴァール共和国転覆計画に失敗し辞任。

セシル=ローズ

南アフリカで帝国主義政策を進めたイギリスの起業家・政治家。1880年に鉱業会社を設立してダイヤモンド業を独占し、トランスヴァールの金鉱業でも成功した。ケープ植民地首相(在位1890〜1896)となり、さらにリンポポ川以北に進出してローデシアを建国したものの、95年にトランスヴァール共和国転覆計画に失敗し、首相を辞任した。

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帝国主義とアジアの民族運動

帝国主義と列強の展開

アフリカの植民地化

アフリカの植民地化を先導したのは、イギリス・フランス・ポルトガルであった。イギリスは1880年代の初めにエジプトを事実上の保護下におき、さらにマフディー派の抵抗を排除して1899年にはスーダンを征服した。アフリカ南部のケープ地域はオランダの植民地であったが、ウィーン会議でイギリス領となり、ケープ植民地がつくられた。オランダ人の子孫を主体とするブール人 Boers はイギリス支配を逃れて北方に移住し(グレート=トレック)、現地のアフリカ人の土地を奪いトランスヴァール共和国 Transvaal (1855〜1902)とオレンジ自由国 Orange (1854〜1902)をたてた。農業地域であった両国で19世紀後半に豊富なダイヤモンドと金が発見されると、イギリスは両国の併合を画策するようになった。

ベルリン会議を通してドイツが南西アフリカを植民地にすると、イギリスは南アフリカから北方に隣接する中央アフリカ地域へも進出して現在のボツワナを保護領化し、さらにセシル=ローズ Cecil Rhodes (1853〜1902)はジンバブウェ地方なども支配下においた。ケープ植民地首相となったローズがトランスヴァールの併合に失敗して失脚したあと、イギリス本国の植民地相ジョゼフ=チェンバレンは、1899年、南アフリカ戦争(ブール戦争, 1899〜1902)をおこした。

セシル=ローズ
ケープタウンからカイロへ鉄道用の電線を敷設するローズ。ローズの名前とロドス島の巨像を引っ掛けた同時代の諷刺画(File:Punch Rhodes Colossus.png – Wikimedia Commons)©Public Domain

セシル=ローズは「できることなら、私は惑星をも併合したい」ということばを残した。

アフリカの植民地化地図
アフリカの植民地化地図 ©世界の歴史まっぷ
セシル=ローズ

イギリス人セシル=ローズは折からのダイヤモンド=ラッシュにのって「デ=ビアス鉱業株式会社」を経営し、1890年にはトランスヴァールのダイヤモンド鉱業をほぼ独占した。さらに、90年代半ばには金山も併合した。財力にものをいわせて政治家となり、1890年にはケープ植民地首相となった。ローズ (Rhodes) は併合した地域を自分の名前にちなんでローデシア (Rhodesia) と命名した。

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