63.第一次世界大戦

  1. 第一次世界大戦の勃発
  2. ドイツの攻勢から塹壕戦へ
  3. アメリカの参戦・ロシアの崩壊と大戦の集結
  4. 第一次世界大戦中のヨーロッパ

63.第一次世界大戦

63.第一次世界大戦流れ図
63.第一次世界大戦流れ図 ©世界の歴史まっぷ

1. 第一次世界大戦の勃発

1914年6月、オーストリアの帝位継承者夫妻が、ボスニアの州都サライェヴォでセルビア人の民族主義者によって暗殺された(サライェヴォ事件)。オーストリアはスラヴ系民族運動をおさえる好機とみて、ドイツの支持を得てセルビアに宣戦すると、ロシアはセルビア支援を表明した。他の列強諸国も同盟・協商関係にしたがってつぎつぎに参戦し、ドイツ・オーストリアなどの同盟国側と、フランス・ロシア・イギリス・日本などの協商国(連合国)側に分かれて戦った。その後、オスマン帝国・ブルガリアが同盟国側で参戦し、イタリアは三国同盟から離脱した。反戦を掲げた第2インターナショナルは、参戦国の社会党の多くが自国政府を支持したため事実上解体し、主要参戦国では、諸政党が結束して政府を支持する挙国一致体制が成立した。

2. ドイツの攻勢から塹壕戦へ

戦況は、ドイツ軍がベルギーの中立をおかしてパリをめざしたが、マルヌの戦いでフランス軍に阻止され、西部戦線は膠着した。以後、両軍とも塹壕ざんごうにたてこもり、航空機・毒ガス・戦車などの新兵器を投入し、多くの死傷者を出しながら一進一退をくりかえす戦況になった。東部戦線では、ドイツ軍がロシア軍をタンネンベルクの戦いで破ったのち、ロシア領内に進撃したが、国土の広さや厳しい冬の気候のため決着の見通しはたたなかった。この状況を破るため1916年ドイツはヴェルダンで大攻勢をかけ、ついで英・仏軍はソンムで反撃に出たが、結局戦線の膠着は破れなかった。

戦争は予期しない長期戦・物量戦になった。これを支えるため、参戦各国では国力を戦争にむけて動員する総戦力体制がつくられた。連合国は植民地や従属国の協力を得るため、さまざまな秘密条約を結び、また戦後の自治や独立の空約束を与え、その植民地から大量の食糧・原料を徴発しただけではなく、300万人をこえる兵士や労働者をヨーロッパや西アジアの戦線に送り込み、植民地の住民に大きな犠牲を強いた。

3. アメリカの参戦・ロシアの崩壊と大戦の集結

1917年になると情勢の変化がみられた。第1に、イギリスへの海上逆封鎖をねらってドイツが無制限潜水艦作戦の方針をとったため、それまで中立だったアメリカが連合国側に参戦し、バランスがくずれた。第2に、長引く戦争に対して厭戦えんせん気分がもっとも強いロシアで革命がおこり、新政権は翌18年3月に、ドイツと単独講和(ブレスト=リトフスク条約)を結んで戦争から離脱した。講和に先だってソヴィエト政府はそれまでの秘密外交の暴露を行なって、全交戦国民に動揺を与えたが、アメリカのウィルソン大統領は1918年1月、十四カ条の民主的な平和原則を発表して動揺を鎮めた。1918年の春から夏、ドイツは西部戦線で最後の大攻勢をかけたが成功せず、ついに力つきた。11月には即時講和を求める水兵がキール軍港で蜂起(キール軍港水兵反乱)すると、革命運動が全国に広がり、皇帝はオランダに亡命してドイツ共和国となった(ドイツ革命)。共和国政府は休戦協定を結び、大戦は連合国の勝利で終わった。

4. 第一次世界大戦中のヨーロッパ

  • 第一次世界大戦勃発の発火点となった都市:サライェヴォ
  • 東部戦線で、ドイツ軍がロシア軍を大敗させた戦い:タンネンベルクの戦い
  • 大戦末期、ドイツで水兵が蜂起した軍港:キール軍港