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47.ナポレオンの登場と大陸支配

  • 1. ナポレオンの登場と革命の終焉
  • 2. 社会の安定と平和の回復
  • 3. ナポレオンの大陸支配
  • 4. ナポレオンの没落
  • 5. ナポレオン時代のヨーロッパ

47.ナポレオンの登場と大陸支配

47.ナポレオンの登場と大陸支配流れ図
47.ナポレオンの登場と大陸支配流れ図

1. ナポレオンの登場と革命の終焉

ブルジョワや土地を得た農民は、社会秩序を安定させてくれる政権の出現を期待した。このようななかでナポレオン=ボナパルトが登場した。彼は革命派の軍人として頭角を現し、1796〜97年のイタリア遠征でオーストリア軍に大勝して第1回対仏大同盟を解体させ、名声をたかめた。ナポレオンはイギリスとインドとの連絡を断つ目的で1798年エジプト遠征を行なったが、翌年イギリスが第2回対仏大同盟を結成すると、いそいで帰国してブリュメール18日の軍事クーデタで総裁政府を倒し、統領政府をつくってみずから第一統領となった。ここにフランス革命は終了した。

フランス革命は、それまで身分・職業・地域などによって分けられていた人々を、フランス人という国民意識をもった平等な市民にまとめたため、ナポレオンの戦争は従来の絶対王政諸国のものとは異なる、国民戦争という性格をもつようになった。この「国民国家」の理念は周辺地域にも広まるとともに、近代国家の形成につながっていった。

2. 社会の安定と平和の回復

1802年、イギリスとアミアンの和約を結んで第2回対仏大同盟を解体させ、社会の安定と平和の回復に成功したナポレオンは終身統領となり、ついで1804年、ナポレオン法典を公布し、私有財産の不可侵、法の前の平等、経済活動の自由など革命の成果を定着させた。名声がたかまるにつれてナポレオンは独裁への野望を強め、1804年に国民投票によって皇帝となり、ナポレオン1世と称した。第一帝政の始まりである。

3. ナポレオンの大陸支配

イギリスが1805年に第3回対仏大同盟を結成すると、ナポレオンはイギリス本土上陸を企てたが、トラファルガーの海戦で破れ失敗した。このためイギリス侵入をあきらめたナポレオンは、オーストリア・ロシアの連合軍をアウステルリッツの三帝会戦で破り、第3回対仏大同盟を解体させた。1806年、ナポレオンが西南ドイツの諸国をあわせてライン同盟を結成したので、神聖ローマ帝国は名実ともに滅んだ。ついでプロイセン・ロシアを破って1807年、屈辱的なティルジット条約を結ばせた。この間、ナポレオンは1806年に大陸封鎖令を発してイギリスの経済封鎖をはかったが、あまり効果がなく、かえって大陸諸国を苦しめることになった。

4. ナポレオンの没落

ナポレオンは被征服地に民族意識をめばえさせた。とくにプロイセンではシュタインハルデンベルクが、国政改革や農民解放を行って近代化をはかった。また哲学者フィヒテらが民族精神の高揚に努めたため、反ナポレオンの気運が強まった。反抗はまずイベリア半島におこった。一方、大陸封鎖令によって打撃を受けていたロシアが対英貿易を再開すると、1812年にナポレオンはロシア遠征を企てたが、ロシアの焦土作戦にあって敗退した。この機に諸国はいっせいに解放戦争にたちあがり、1813年のライプツィヒの戦い(諸国民の戦い)でナポレオンを破り、翌14年にナポレオンはエルバ島に流された。しかしナポレオンは1815年にエルバ島を脱出し、再び帝位についた。諸国は協力してナポレオンをワーテルローの戦いで破り、大西洋の孤島セントヘレナ島に流した。こうしてナポレオンの支配は終わった。

5. ナポレオン時代のヨーロッパ

  • 条約締結地: ティルジット、アミアン
  • 戦地: アウステルリッツ、ワーテルロー、トラファルガー
  • ナポレオンが組織した同盟: ライン同盟(点線枠内)
  • ナポレオンが組織した国家:ワルシャワ大公国

参考

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