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39.西ヨーロッパ〜ヨーロッパ主権国家体制の展開 スペイン絶対王政の確立 16世紀なかばのヨーロッパ詳細版
16世紀なかばのヨーロッパ詳細版 ©世界の歴史まっぷ
39.西ヨーロッパ〜ヨーロッパ主権国家体制の展開

  • 1.スペインの全盛とその落日
  • 2.オランダの独立
  • 3.フランスの宗教内乱と絶対王政
  • 4.16世紀中頃のヨーロッパ地図

39.西ヨーロッパ〜ヨーロッパ主権国家体制の展開

1.スペインの全盛とその落日

スペイン・ハプスブルク家のカルロス1世は、1519年カール5世として神聖ローマ皇帝を兼ね(カール5世(神聖ローマ皇帝))、伝統的なキリスト教世界の統一を体現する存在となった。

続くフェリペ2世(スペイン王)のときスペイン絶対王政は全盛期をむかえた。彼は広大な領土を継承し、1571年にオスマン帝国をレパントの海戦で破り、その脅威を一時和らげた。また1580年、王統の絶えたポルトガルの王位も兼ね、その領土は世界中に広がった。アメリカ大陸やアジア貿易からもたらされる富を手中におさめたスペインは、文字通り「太陽の沈まぬ国」を実現した。しかし1588年には、当時世界最強を誇った無敵艦隊(アルマダ)がイギリスに敗れ、制海権を失うきっかけとなった。

2.オランダの独立

フェリペ2世(スペイン王)は、ネーデルラントに対し自治権の剥奪、重税の賦課ふかやカルヴァン派への迫害を行なったため、諸州の反乱をまねいた。旧教徒の多い南部10州はスペインの支配下にとどまったが、北部7州は1579年にユトレヒト同盟を結び、オラニエ公ウィレムのもとに結集して抗戦を続け、1581年ネーデルラント連邦共和国(オランダ)の樹立を宣言した。

オランダは、バルト海貿易による圧倒的な経済力と、ポルトガルを排除した香辛料貿易の独占で繁栄し、1609年の休戦で事実上の独立を勝ちとった。オランダのアムステルダムは国際金融の中心となり「17世紀はオランダの世紀」といわれた。

3.フランスの宗教内乱と絶対王政

イギリス王権はテューダー朝のもとで強化されたが、統治にあたっては議会で地域社会を代表したジェントリ(郷紳)の協力を必要とした。
イギリスでは15世紀以来、囲い込み(エンクロージャー)が進んで毛織物工業が国民産業となっていた。1600年のイギリス東インド会社設立にみられるエリザベス1世(イングランド女王)時代の積極的な海外進出はこれを背景としている。

フランスは1562年からユグノーと呼ばれるカルヴァン派新教徒と旧教徒両派による大宗教内乱(ユグノー戦争)がおきた。この間、1572年に旧教徒による新教徒へのサンバルテルミの虐殺がおこり、政治的混乱をきわめた。しかしまもなく、ブルボン朝の開祖アンリ4世(フランス王)が1598年にナントの王令(勅令)を発布し、ユグノーに対して一部の制限つきながらも信仰の自由を認めたので、内乱は収拾された。
アンリ4世(フランス王)後、幼少のルイ13世(フランス王)が即位すると、宰相リシュリューはユグノー戦争によって弱体化した王権の強化に努め、三十年戦争に介入しブルボン家の国際的地位を高めた。
ルイ14世(フランス王)が即位すると宰相ジュール・マザランは幼少の王を助け、貴族の反抗であるフロンドの乱を鎮圧した。1661年、ルイ14世(フランス王)は親政を開始し、王権神授説をとなえ、官僚制と常備軍を整えた。財政は財務総監ジャン=バティスト・コルベール重商主義政策を推進して支えた。また、貴族を宮廷に仕えさせて国王の権威を高め、その権勢は頂点に達し、彼は「太陽王」とよばれた。
一方、ルイ14世(フランス王)は、積極的に侵略戦争を行ったが、フランスの強大化を恐れた列国が敵対したため成果は得られなかった。代表的な侵略戦争が1701年からのスペイン継承戦争である。1713年のユトレヒト条約で、ブルボン家のスペイン王位継承は認められたものの、イギリスにジブラルタルなどの重要な海外植民地を奪われた。

4.16世紀中頃のヨーロッパ地図

16世紀なかばのヨーロッパ詳細版
16世紀なかばのヨーロッパ詳細版 ©世界の歴史まっぷ

参考

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