16.イスラーム世界の形成

  • 1. アラビア半島の情勢変化
  • 2. イスラーム教の成立とアラブの大征服
  • 3. アラブ帝国からイスラーム帝国へ
  • 4. イスラーム世界の発展

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16.イスラーム世界の形成

1. アラビア半島の情勢変化

ササン朝ビザンツ帝国の対立が激しくなると、シルク=ロードは途絶えて、アラビア半島の紅海沿岸が東西貿易のルートとして一層重要性を増し、メッカメディナなどの都市が繁栄するようになった。中継貿易の発展は貧富の差を増大させ、クライシュ族による富の独占を可能にし、部族社会の平等の原則は崩壊していった。預言者ムハンマドは唯一神アッラーの啓示を受けて、預言者としての自覚をもち、多神教や偶像崇拝を排して新しい信仰を人々に説いた。しかし彼はメッカで迫害を受け、622年、メディナにのがれた。この移住をヒジュラ(聖遷)という。630年、預言者ムハンマドはメッカを無血のうちに征服し、この地をイスラームの聖地とし、さらに勢力を拡大してアラビア半島を統一した。

2. イスラーム教の成立とアラブの大征服

イスラーム教の教典『コーラン』はアラビア語で記され、預言者ムハンマドにくだされた神の啓示の記録である。その教えの中心は神への絶対的服従にある。この世の週末に、人間は審判にかけられるが、その最後の審判に備える唯一の道は、神の命令に服従することにある。天国で永遠の至福の生活をおくれるか、地獄で永劫の罰を受けることになるかは、ひとえに各人の現生の生き方にかかっていると説かれている。信者の義務は六信五行を行うことであり、イスラーム教はたんに宗教であるばかりでなく、信者の生活体系をなすものであった。預言者ムハンマドの死後、教団はカリフと呼ばれる後継者を選出し(以後4代までは選挙によって選ばれたので、これを正統カリフ時代という)、イスラーム教布教の聖戦(ジハード)にのりだした。東方ではササン朝を滅ぼし、西方ではシリアとエジプトをビザンツ帝国から奪い、多くのアラブ人が征服地に移住した。

第4代アリー(正統カリフ)が暗殺されると、661年、シリア総督のムアーウィヤがダマスクスにウマイヤ朝をひらき、カリフの地位を世襲制とした。しかしアラブの急激な拡大は内部対立をまねき、イスラーム教は分裂した。アリーとその子孫のみを後継者と認める一派はシーア派となった。ウマイヤ朝の時代もジハードのもとで領土の拡大が行われた。ウマイヤ朝は西北インド・アフリカ北岸・イベリア半島まで征服し、さらにガリア地方に進出したが、732年のトゥール・ポワティエ間の戦いでフランク軍に敗れた。

初期のイスラーム帝国は、アラブ帝国の名で示されるようにアラブ人を第一とする他民族支配であった。アラブ人は帝国の支配者集団で免税特権をもち、被征服民はイスラーム教に改宗してもハラージュ(地租)ジズヤ(人頭税)が課せられた。

3. アラブ帝国からイスラーム帝国へ

アッバース家は非アラブ改宗民(マワーリー)の不満や、アラブ内部でのウマイヤ家への反発を利用して革命運動をおこし、750年、ウマイヤ朝を倒しアッバース朝をひらいた。新首都バグダードはイスラーム世界の政治・経済・文化の中心として繁栄した。アッバース朝は8世紀のハールーン=アッラシードのとき全盛期をむかえた。アラブ人の特権はしだいに失われ、イスラーム教徒の平等の原則が確立された。政治はイスラーム法(シャリーア)にもとづいて実施されるようになり、ここにアラブ帝国から「イスラーム帝国」への転換がはかられた。そしてカリフの神格化が進み、ササン朝の諸制度を継承した官僚制度もととのい、専制的な体制が確立した。

4. イスラーム世界の発展

イスラーム世界の拡大地図
イスラーム世界の拡大地図 ©世界の歴史まっぷ

参考