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紀元前7世紀アッシリア帝国
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紀元前7世紀アッシリア帝国

エトルリア 紀元前7世紀の世界(西)地図 紀元前7世紀アッシリア帝国 地図
紀元前7世紀の世界(西)©世界の歴史まっぷ

凡例

  • フリギア人の王国
  • ギリシア人の居住地と植民地
  • フェニキア人の居住地と植民地
  • エトルリア人の居住地

アッシリア帝国

  • サルゴン2世時代の領土(紀元前720年頃)
  • アッシュールバニパル時代 最大領土(紀元前650年頃)

参考資料

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新アッシリア時代

紀元前934年 – 紀元前609年

紀元前934年、アッシュール・ダン2世・アダド・ニラリ2世等によって中アッシリア時代後期の混乱が収められた後、アッシリアの王達は盛んに遠征を行い、次々と領土を拡大した。

アッシリアは帝国を維持するために各種の方策を講じた。
最も有名なものの一つが大量捕囚政策としてしられる被征服民の強制移住である。強制移住自体はオリエント世界に広く見られた手段であるが、アッシリアのそれはその組織性と規模において史上例を見ないものである。特にティグラト・ピレセル3世の治世以降は、急激に拡大した領土での反乱防止と職人の確保を目的としてたびたび行われた。

アッシリアの帝国統治は単純に武力によって行われただけでなく、征服地や服属地域の文化や言語、宗教や政治体制に関する情報を詳細に収集し、それに基づく飴と鞭を使い分けた対応をとったことが同時代記録の分析から明らかになっている。
こうした異文化情報の集積による帝国統治の手法は、アッシリア以降に登場した新バビロニア王国やアケメネス朝ペルシアのような広域統治を行った帝国に継承され、その統治技術の基礎となったと考えられている。

またその国家は、本国たるアッシュルの地と周辺の征服地域は強く区別された。本国は、中アッシリア時代より拡大していたが、神格化された国土アッシュール神という宗教イデオロギーで結びついていた。各征服地がどのように統治されたのかについては地域差があり、また学者の間でも議論のある所である。バビロニアの扱いは別格であり、アッシリア王がバビロニア王を兼任する場合や、バビロニアに代理王を置く場合などがあった。これらを、高度に発達した官僚制度が支えていた。ティグラト・ピレセル3世の治世からアッシュールバニパルの治世までの100年あまりの間にアッシリアは歴史上空前の政治的統合体を作り上げることになる。

この時代のアッシリア政治史における重要案件はバビロニア問題であった。ティグラト・ピレセル3世がバビロニアを完全征服して以降も、事あるごとにエラム(フンバンタラ朝)の支援を受けたバビロニアが反乱を起こし、その統治はアッシリア王達の頭痛の種であり続けた。
ティグラト・ピレセル3世以降、バビロニアの反乱に直面しなかった王はほとんどいない。
紀元前722年にシャルマネセル5世がイスラエル王国へ侵攻し占領したが、直後に死去。
サルゴン2世は即位直後にバビロニアに離反され、ウラルトゥ・アッシリア戦争やバビロニア再征服が続く中で死去し、センナケリブが後を継いだ。
エサルハドンの時代にはエジプトにまでその領域が広がった。この時代のシリアにおけるアッシリアの行動はヘブライ人達によって旧約聖書に記録されている。アッシュールバニパルがエラムを滅亡(スサの戦い)させたものの、アッシュールバニパル治世後半からこうした巨大帝国も急激に衰退し、彼の死後20年あまりでアッシリアは滅亡してしまう。
この衰退の原因が何であるのかは分かっていないが、王家の内紛や広大な領土・多様な被征服民族を統治するシステムの構造的な問題が噴出したものとも考えられている。北方からスキタイ等の外敵に圧迫され、領内では各所で続発する反乱を抑える事が出来なくなっていき、紀元前625年には新バビロニアが独立してその勢いはさらに増した。
紀元前612年に新バビロニアやメディアの攻撃を受けて首都ニネヴェが陥落した(ニネヴェの戦い)。

亡命政権がハランに誕生し、アッシュール・ウバリト2世が即位、エジプト王ネコ2世と同盟を結んで新バビロニアと抗戦するも紀元前609年にはこれも崩壊し、アッシリアは滅亡した。だが、アッシリアに続く新バビロニアやメディア、アケメネス朝ペルシアはアッシリアの行政機構の多くを取り入れた。

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