第4回〜第7回十字軍地図

地名: イスラーム勢力, ローマ・カトリック, ギリシア正教, レッジオ, チュニス, アレクサンドリア, アッコン, ダマスクス, エルサレム, ダミエッタ, アンティオキア, アドリアノープル, コンスタンティノープル, アンカラ, アンゴラ, ロンドン, ブイヨン, パリ, リヨン, クレルモン, トレド, リスボン, コルドバ, グラナダ, マルセイユ, エグモルト, ケルン, マインツ, レーゲンスブルク, ウィーン, ジェノヴァ, ヴェネツィア, ピサ, ローマ, ニケーア, イングランド王国, ハンガリー王国, ポルトガル, ムワッヒド朝, アラゴン, アイユーブ朝, マムルーク朝, ルーム・セルジューク朝, 東ローマ帝国, 神聖ローマ帝国, ドイツ騎士団領, フランス王国, カスティリャ

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第4回〜第7回十字軍地図

第4回十字軍

13世紀初頭の第4回十字軍(1202〜1204)は、教皇権の絶頂期にあったインノケンティウス3世(ローマ教皇)により提唱された。
だがヴェネツィア総督エンリコ・ダンドロの進言により、十字軍は聖地に向かわず、コンスタンティノープルを占領、略奪し、ラテン帝国(1204〜1261)を樹立するという結果を招いた。フランドル伯がボードゥアン1世(ラテン皇帝)となり、帝国領は封土として諸侯や騎士に授与された。ヴェネツィアもコンスタンティノープルの一部の他、多数の島々や沿岸地方を手に入れた。この十字軍の脱線の背景には、諸侯や騎士の領土欲のほかに、地中海商業をめぐる東ローマ帝国とヴェネツィアの対立があった。

第5回十字軍

つづく第5回十字軍(1219〜1221/1228〜1229)は、アッコンからイスラーム側の軍事的、経済的拠点のエジプトに向かったが、カイロに達する前に敗北した。
その後、親イスラーム的なフリードリヒ2世(神聖ローマ皇帝)とアイユーブ朝との外交折衝(1228〜1229)により、一時エルサレムは返還されたものの、1244年フワーリズム(ホラズム)系トルコ人により再び奪われた。

第6回十字軍

これに大きな衝撃を受けたのが、ルイ9世(フランス王)である。信仰に厚く、死後世者に列せられたルイ9世は、単独で第6回十字軍を組織すると、エジプトを攻めた。
また、このころ急速に台頭したモンゴル人との提携を企て、フランチェスコ派の修道士ルブルックをカラコルムに派遣した。しかし、アイユーブ朝にかわったマムルーク朝により撃退された。

第7回十字軍

その後ルイ9世(フランス王)は第7回十字軍を組織し、北アフリカのチュニスを攻撃したが、その地で病没し失敗に終わった。
一方、パレスチナの十字軍国家では、モンゴル人を恐れてマムルーク朝との提携を望んでいたが、モンゴル軍を撃退したマムルーク朝により、アンティオキア候領(1268)、トリポリ伯国(1289)、アッコン(1291)と相次いで滅ぼされ、聖地回復の夢は完全についえさった。

後期の十字軍 – 世界の歴史まっぷ

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第4回〜第7回十字軍地図
第4回〜第7回十字軍地図 ©世界の歴史まっぷ

参考

山川 詳説世界史図録