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第1回〜第3回十字軍地図

地名: イスラーム勢力, ローマ・カトリック, ギリシア正教, 東方植民, レコンキスタ, レッジオ, チュニス, アレクサンドリア, アッコン, ダマスクス, エルサレム, ダミエッタ, アンティオキア, アドリアノープル, コンスタンティノープル, アンカラ, アンゴラ, ロンドン, ブイヨン, パリ, リヨン, クレルモン, トレド, リスボン, コルドバ, グラナダ, マルセイユ, エブモルト, ケルン, マインツ, レーゲンスブルク, ウィーン, ジェノヴァ, ヴェネツィア, ピサ, ローマ, ニケーア, イングランド王国, ハンガリー王国, ポルトガル, ムラービト朝, ムワッヒド朝, アラゴン, ファーティマ朝, アイユーブ朝, セルジューク朝, 東ローマ帝国, 神聖ローマ帝国, フランス王国, カスティリャ

第1回〜第3回十字軍地図

十字軍の背景

十字軍の背景

第1回十字軍

ウルバヌス2世(ローマ教皇)は各地に勧説使を送り、遠征に加わるものには「贖宥しょくゆう」(罪の赦しにともなうつぐないの免除)の特権を与えることを口説いて、十字軍を募った。
当時、ドイツ、フランス、イギリス3国の国王はいずれも破門中の身であったため、フランス、イタリアなどの諸侯、騎士を中心に4軍団が編成され、1096年8月第1回十字軍が出発した。
兵士たちに守られた巡礼者も含めると、その数は10万に達したという。いったんコンスタンティノープルに集結した後、小アジアを横断してセルジューク朝軍と戦い、アンティオキア公国エデッサ伯国を建国した。
そしてシリア沿岸を南下、1099年7月、ファーティマ朝総督下の聖地エルサレムを占領、ユダヤ教徒やイスラーム教徒の大量虐殺を行い、エルサレム王国(1099〜1291)を建国した(有力な指導者のひとりゴドフロワ・ド・ブイヨンが初代の王(正式には「聖墳墓守護者」の称号)になった。)。
また1102年にはトリポリ伯国も成立した。
だが、シリア、パレスチナ一帯に領土を獲得した一部の諸侯、騎士や、そこでの土地配分にあずかった少数の市民、農民を除き、遠征に加わった大多数のものは帰途につき、十字軍国家は生産者人口と軍事力の不足に悩まされる事になった。
また、聖地に常駐し、巡礼の保護と貧者、病人、死者の世話をする騎士修道会(宗教騎士団)として、テンプル騎士団聖ヨハネ騎士団が設立された。

第2回十字軍

日ならずして、イスラーム側の反撃が開始された。まず、1146年エデッサ伯国が、つづいてアンティオキア公国の東半分が奪還された。ルイ7世(フランス王)とコンラート3世(神聖ローマ皇帝)は、第2回十字軍(1147〜1149)を組織して内陸シリアの拠点ダマスクスを攻撃したが、あえなく失敗した。

初期の十字軍の成功は、イスラーム側の内紛に助けられたものであったが、このころイスラーム世界にサラディン(サラーフッディーン 1138〜1193)が登場すると、形勢は大きく逆転することになった。
サラディンはアイユーブ朝(1169〜1250)を立てると、ファーティマ朝を滅ぼしてエジプトにスンナ派信仰を回復し、シリアをもあわせて反十字軍の統一勢力を結集した。
その結果、エルサルム王国はサラディンにより1世紀たらずで奪回された。(1187)

第3回十字軍

これに対し、フリードリヒ1世(神聖ローマ皇帝)フィリップ2世(フランス王)リチャード1世(イングランド王)の三大国の君主からなる第3回十字軍(1189〜1192)が結成された。
だが、大軍を率いたフリードリヒ1世(神聖ローマ皇帝)は途中小アジアで不慮の事故死を遂げ、フィリップ2世(フランス王)はリチャード1世(イングランド王)と対立し、アッコンを奪還後帰国した。
リチャード1世(イングランド王)だけがその後もサラディンとわたりあったが、結局エルサレムを奪回することはできなかった。なお、この第3回十字軍に際して、ドイツ騎士団が成立している。

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第1回〜第3回十字軍地図
第1回〜第3回十字軍地図 ©世界の歴史まっぷ

参考

詳説世界史研究

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