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大陸文化の受容 仏教の新展開 仏教の伝播地図 上座部仏教
仏教の伝播地図 ©世界の歴史まっぷ

仏教の伝播

地名: ブッダ誕生地, 上座部系統, 上座部仏教, 大乗系統, 仏教遺跡, バーミヤン, 竜門, アンコール・ワット, アジャンタ―, 敦煌, 雲崗, ボロブドール, 中央アジア, 中国, モンゴル, スマトラ, スリランカ, ジャワ, イラン, ガンダーラ, 朝鮮, 日本, ルソン, ミャンマー, チベット, インド, ボルネオ, インダス川, ガンジス川

仏教の伝播

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仏教の伝播地図
仏教の伝播地図 ©世界の歴史まっぷ

凡例

  • ブッダ誕生地
  • 上座部系統
  • 上座部仏教の広まった地域
  • 大乗系統
  • 仏教遺跡

新思想の成立

仏教

ガウタマ・シッダールタ(紀元前566頃〜紀元前486頃)はコーサラ国の属国であるヒマラヤ山麓に住むシャーキャ(釈迦族)の有力者の家に生まれた。身分はクシャトリヤであったが、29歳の時出家し、35歳のときブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開いた。その後80歳で没するまでガンジス川の中・下流域を旅してまわり教えを説いた。悟りを開いてからはブッダ(仏陀)、釈迦牟尼しゃかむに(釈迦族出身の聖者)などの尊称で呼ばれる。

彼によって開かれた仏教は、いっさいのものは滅びる(諸行無常しょぎょうむじょう)という無常観にたち、人生を「苦」とみてその苦を克服する道を求めたものである。ブッダは正しい生き方を中道と称し、極端な苦行と快楽を否定し、8つの正しい道(八正道はっしょうどう)の実践に努め、自我の欲望(煩悩)を捨てることによって解脱、すなわち涅槃ねはん寂滅じゃくめつ)の境地に達することができると説いた。こうした教理は主として解脱を求める出家者(比丘びく)にむかって説かれたものである。その一方でブッダは、一般の信者に対して、道徳的に正しい生き方と慈悲の尊さを説いている。その教えはとくに都市に住むクシャトリヤや商工業者に歓迎され、通商路に沿って伝えられた。

ブッダの死後、教えが失われたり異説が生じたりすることを恐れた弟子たちは、一堂に会して正しい説を決定した。これを第1回の仏典結集という。その後しばらく教団の統一が維持されたが(原始仏教時代)、ブッダの死後100年ほどして第2回の結集が開かれた頃から分裂を始め、多数の部派が誕生した(部派仏教時代)。それぞれの部派は自派の正統性を主張するため三蔵と称される経典を編集するにいたった。またこの時代をつうじてブッダの理想化が進み、ブッダの過去世における善行を語ったジャータカ物語(本生和ほんじょうわ)が成立し、ブッダの遺骨をおさめた塔(ストゥーパ)の崇拝がさかんになった。

仏教の新展開

西暦紀元の前後ころ、伝統的仏教に対する革新運動として大乗仏教がおこった。この運動を進めたものたちは、自己の完成(解脱)をひたすら求める伝統的な仏教を独善的な小乗(劣った乗り物=狭い救済の道)と批判し、自分たちの立場を大乗(大きな乗り物=広い救済の道)と称した。そして自分を犠牲にして他人のためにつくす利他行りたぎょう菩薩行ぼさつぎょう)を重視し、また諸仏・諸菩薩を拝することによって僧俗に関係なく救われると主張した。大乗仏教はこのように民族や階級に関係なく広く受け入れられる内容をもっていた。この仏教の教理の大成者は「くう」の思想を確立したナーガールジュナ龍樹りゅうじゅ)(150〜250)である。

初期の仏教徒はブッダを像に表現することを避けたが、1世紀末ころ西北インドでヘレニズム彫刻の技法と造形思想の影響をうけて、仏像・菩薩像が刻まれ、仏像崇拝が始まった。この造形美術は誕生の地の名にちなみガンダーラ美術と呼ばれている。
この美術の影響は、インド本土はもとより、仏教の伝播に伴い、中央アジア・中国・日本にまでおよんだ。

マウリヤ帝国崩壊後の4〜5世紀の間に、バラモン教と土着の宗教とが融合したヒンドゥー教の形成が徐々に進行した。ヴァルナ制度のもとで生活する人々の義務を定めた『マヌ法典』が編まれたのもこの時代である。マヌは人類の始祖とされる聖人の名であり、この法典に権威を与えるため彼の名が冠せられた。

インドの古代文明 – 世界の歴史まっぷ

参考

詳説日本史研究

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