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ホロウ・クラウン/嘆きの王冠-リチャード二世
ホロウ・クラウン/嘆きの王冠 – リチャード二世 © 2015 Carnival Film & Television Limited. All Rights Reserved.

ホロウ・クラウン/嘆きの王冠-リチャード二世 登場人物とあらすじ

海外ドラマ

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ホロウ・クラウン/嘆きの王冠

リチャード二世

ホロウ・クラウン/嘆きの王冠-リチャード二世
イギリスのBBCが、2012年のロンドンオリンピックに合わせて企画・制作した、シェイクスピアの史劇「リチャード二世」「ヘンリー四世」「ヘンリー五世」を描いたテレビドラマの「リチャード二世」
イギリスの中世に生きた国王それぞれの王の苦悩と戦いを描いたシェイクスピアの有名な史劇を、壮大な風景と歴史的な建造物を背景に忠実にドラマ化されている。
ウィリアム・シェイクスピアの史劇作品群に基づいき、シェイクスピアの名場面と力強い言葉の世界を堪能できるイギリスのテレビ映画シリーズである。
日本ではHuluによって初めて配信されるが、現時点で日本語に対応したDVDはまだ発売されていない。

ホロウ・クラウン/嘆きの王冠-リチャード二世

登場人物相関図

ホロウ・クラウン嘆きの王冠-リチャード二世
ホロウ・クラウン嘆きの王冠系図 ©世界の歴史まっぷ

あらすじ

シーズン1,第1話

リチャード2世 (ベン・ウィショー) は、従弟ヘンリー・ボリングブルック (ロリー・キニア) とトマス・モーブレーの間で起きた問題を解決するために二人を呼び出す。やむなく二人に決闘を許す王だったが、直前で決闘を止め、二人に追放を言い渡す。

ホロウ・クラウン/嘆きの王冠 - リチャード二世
リチャード2世 「ホロウ・クラウン/嘆きの王冠」 ©2012 Carnival Film & Television Limited ALL RIGHTS RESERVED
リチャード2世(イングランド王) ホロウ・クラウン/嘆きの王冠 - リチャード二世
リチャード2世の肖像画 (1390-ウェストミンスター寺院蔵) ©Public domain

ウィンザー城で威厳をもって玉座に座るリチャード2世から始まる。ウェストミンスター寺院蔵のリチャード2世の肖像画と同じである。
従兄弟であるヘンリー・ボリングブルック(後のヘンリー4世)と、トマス・モーブレーから自分たちの論争を裁定して欲しいと乞われる。
ボリングブルックの言い分は、モーブレーは王から支給された軍資金を横領し、また王の弟であるグロスター公(トマス・オブ・ウッドストック)の不可解な死にも関与したというもので、それに対してモーブレーはボリングブルックに名誉を傷つけられたと憤っていた。
リチャード二世は二人を和解させようとするが、叶わず、決闘を認める。しかし、決闘が始まる直前、リチャード2世は二人にイングランドからの追放を言い渡す。
ボリングブルックは6年間の、モーブレーは永久の追放である。この裁定が結果的にリチャード二世の廃位と死に繋がるわけで、劇中、モーブレーがそれを予言する。

時代背景

1337年: エドワード3世(イングランド王)は、母がカペー家の王女だったためフランス王位継承を主張すると、フィリップ6世は、スコットランドと呼応してアキテーヌ公領没収を宣言し、ガスコーニュに軍を進めたため、エドワード3世はフランスに宣戦布告し、百年戦争が開始。
1367年: エドワード3世(イングランド王)の長男エドワード黒太子とその妃ジョーン・オブ・ケントの間に次男としてリチャード2世誕生。
1372年: 兄エドワード7歳で死去。
1376年: 父エドワード黒太子死去。
1377年: 祖父のエドワード3世(イングランド王)死去。叔父のケンブリッジ伯(後にヨーク公)エドマンド・オブ・ラングリーが摂政となり、リチャード2世が10歳で王位継承。
1380年: 百年戦争による膨大な戦費調達のため、上層に軽く下層に重い税制の人頭税の導入を図る。
1381年: 増税に反対する下層階級の農民と労働者が、ウェセックスの煉瓦工ワット・タイラーに率いられて反乱を起す。リチャード2世はタイラーとの面会に応じ、タイラーの要求事項に回答を約束したが、翌日、ロンドン市長が面会に現れたタイラーを刺殺し、指導者を失った反乱は鎮圧された(ワット・タイラーの乱)。
1381年: ワット・タイラーの乱を鎮めたリチャード2世は、叔父で摂政のランカスター公ジョン・オブ・ゴーントを筆頭とする評議会を廃して親政を宣言。
しかし、リチャード2世は寵臣政治を行い、かつ親フランス寄りの立場を採ったため、主戦派の諸侯とイングランド議会は王に閣僚の解任を求めた。
1387年: 議会派諸侯はラドコット・ブリッジの戦いで国王派を破る。
1388年: 無慈悲議会において王の寵臣8人を反逆罪で告発。
1392年: アミアン会議
1393年: ルーランジャン交渉
1396年: アルドル会議
1397年: シャルル6世(フランス王)との交渉が一段落したリチャード2世は、対フランス和平案にも反発した議会派の要人で叔父のグロスター公トマス・オブ・ウッドストック、アランデル伯らを処刑。
1381年: ルーランジャンでリチャード2世(イングランド王)とシャルル6世(フランス王)との和平交渉がはじめられる。
1398年: ヘンリー・ボリングブルック(後のヘンリー4世(イングランド王))らが国外追放。
1399年: ヘンリー・ボリングブルックの父、ランカスター公・ジョン・オブ・ゴーント死亡。ランカスター公領没収。
1399年: ヘンリー・ボリングブルックが挙兵、リチャード2世は捕らわれロンドン塔に幽閉、廃位される。
1399年: ヘンリー・ボリングブルックがヘンリー4世として即位。
1400年: リチャード2世獄死。

シーズン1,第2話

ホロウ・クラウン/嘆きの王冠 – リチャード二世
フリント城でヘンリー・ボリングブルックを迎えるリチャード2世 ©2012 Carnival Film & Television Limited. ALL RIGHTS RESERVED. | NBCユニバーサル

ヘンリー・ボリングブルックの父親ジョン・オブ・ゴーント (パトリック・スチュワート) は死を目前にし、リチャード2世を叱責する。しかし、王はゴーントの死後、彼の領地と財産を没収。反乱軍討伐のため、アイルランドの遠征に出かける。

ボリングブルックの追放後、その父親ジョン・オブ・ゴーントが死去する。
リチャード二世はその遺産を取り上げ、アイルランド征伐の資金とする。貴族たちはこの仕打ちに加え、リチャード二世が貴族たちに対して先祖が犯した罪で罰金を課したり、民衆に重税を課したりすることに憤る。ボリングブルックが財産の返還を求めてひそかにイングランドに帰国したと知ると、貴族たちはボリングブルックを先頭にリチャード2世打倒の行動に出る。
リチャード二世がアイルランド遠征から戻った時、イングランドはボリングブルックたちの手に落ちていた。ボリングブルックは財産の返還と、さらに王座を要求する。

シーズン1,第3話

ホロウ・クラウン/嘆きの王冠 – リチャード二世
ヘンリー4世としてイングランド王に即位したヘンリー・ボリングブルック ©2012 Carnival Film & Television Limited. ALL RIGHTS RESERVED. | NBCユニバーサル

ヘンリー・ボリングブルックが財産の返還を求め帰国。彼は、ノーサンバランド (デヴィッド・モリシー) とヨーク公 (デヴィッド・スーシェ) を味方につけ、リチャード2世を捕らえ、王座を要求する。

ウェストミンスター大会堂で、リチャード2世からボリングブルックに王冠が衆人を前に譲渡される。
リチャード2世はボリングブルックによってロンドン塔に幽閉される。

ヘンリー4世(イングランド王)となったボリングブルックが存命のリチャード2世のことを「生きている恐怖(living fear)」と言ったのを聞いた騎士エクストンは、それを暗殺の指示と理解して、ポンフレット城(現:ポンテフラクト城)に身柄を移されたリチャード2世を暗殺する。

ヘンリー4世は先走ったエクストンを処罰して、リチャード2世の死の罪を浄めるためにエルサレム遠征を行うことを誓う。

DVD

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登場人物

リチャード2世

プランタジネット朝最後のイングランド王(在位:1377年6月22日 – 1399年9月29日)
エドワード3世の長男エドワード黒太子の次男。
ランカスター公が1399年に死去したのを機会に、その息子で従弟のヘンリー・ボリングブルックに対して、広大なランカスター公領の没収と追放を命じた。しかし、7月にボリングブルックが兵を挙げると、リチャード2世に失望していた諸侯や有力者の多くがこれに合流した。翌8月にアイルランド遠征から帰途にあったリチャード2世は、ボリングブルック軍に呆気なく降伏して捕らわれ、ロンドン塔に幽閉されて9月28日に開かれた議会で正式に廃位された。
ボリングブルックはヘンリー4世としてイングランド王に即位し、ランカスター朝を開いた。退位したリチャードは身柄を各地に移され、1400年2月14日にヨーク南西のポンティフラクト城で33歳で死去した。リチャードは前王の尊厳を奪われ、過酷な処遇を受けて餓死させられたと伝えられている。2度結婚したが、いずれの王妃との間にも子供はいなかった。

リチャード2世(イングランド王)

ランカスター公・ジョン・オブ・ゴーント

エドワード3世の三男で王の叔父。当作にはないが、1377年に甥のリチャード2世が即位すると実権を振るったが、1381年に課税の失策によりワット・タイラーの乱を誘発させたため、1383年にリチャード2世が親政を開始すると権力から遠ざけられた。リチャード2世に後継ぎが生まれなかったため、王位継承を目指してイングランドでもフランスのような男系継承のみを認めるサリカ法を採用することを主張したが入れられず、リチャード2世はジョンの兄である叔父ライオネル・オブ・アントワープの女系の孫であるマーチ伯ロジャー・モーティマーを王位継承者に指名した(ロジャーは1398年に死去)。

ヨーク公・エドムンド・オブ・ラングリー

エドワード3世の四男で王の叔父。ヨーク家の始祖。1377年に甥のリチャード2世が即位するとその摂政になり、1385年にはヨーク公に列せられた。

ヘリフォード公・ヘンリー・ボリングブルック

エドワード3世の第3子ジョン・オブ・ゴーントの長男。1398年、リチャード2世にノーフォーク公トマス・モウブレーとの諍いを咎められ追放処分を受けた。フランス・パリに追放されたヘンリーは相続権を奪われ、翌1399年2月に父が死んで残ったランカスター公領も没収されたため、同年5月にリチャード2世がアイルランドへ遠征してイングランドを空けた隙を見て7月4日にイングランドに上陸。ノーサンバランド伯ヘンリー・パーシー・ホットスパー父子とウェストモーランド伯ラルフ・ネヴィルら北部貴族の協力を得て8月には遠征から帰還途中のリチャード2世をウェールズとの国境で破り、リチャード2世を逮捕した。そして9月30日、議会はリチャード2世の廃位とヘンリーの王位継承を議決、ヘンリーは国王ヘンリー4世に即位してランカスター朝を開いた。

オーマール公

エドワード・オブ・ノリッジ – エドワード3世の五男であるヨーク公エドマンド・オブ・ラングリーの長男。

ノーフォーク公・トマス・モーブレー

トマス・モウブレー (初代ノーフォーク公) – 1398年にリチャード2世の従弟のヘンリー・ボリングブルックに反逆罪で訴えられ、リチャード2世によって2人とも国外へ追放される。翌年ボリングブルックは挙兵してリチャード2世を廃位に追い込み、ヘンリー4世として即位したが、トマスは同年ヴェネツィアでペストに罹り客死した。

バッシー

(BUSHY) – 王リチャードの家来。

バゴット

(BAGOT) – 王リチャードの家来。

グリーン

(GREEN) – 王リチャードの家来。

ノーサンバランド伯・ヘンリー・パーシー

ヘンリー・パーシー(初代ノーサンバランド伯) – エドワード3世の代から北部貴族としてスコットランドの国境警備を担当しており、1377年に孫のリチャード2世の戴冠式に出席、ノーサンバランド伯爵を叙爵された。しかし、1397年に妻の甥にあたるラルフ・ネヴィルにウェストモーランド伯爵が授与されるとこれに反発、1399年、リチャード2世の従弟のヘンリー・ボリングブルックがクーデターを起こすとボリングブルックに寝返り、恩賞としてマン島の支配権を獲得した。

ヘンリー・パーシー

ヘンリー・パーシーの子。「ホットスパー」。

リチャード2世の王妃

イザベラ・オブ・ヴァロワ – フランス王シャルル6世と王妃イザボー・ド・バヴィエールの娘で、イングランド王ヘンリー5世の妃キャサリン・オブ・ヴァロワ、フランス王シャルル7世の姉。

ヨーク公爵夫人

イザベラ・オブ・カスティル – カスティーリャ王ペドロ1世とマリア・デ・パディーリャの娘。

系図

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系図全体はこちら 百年戦争前後のイングランドとフランスの君主一覧と系図

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